出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻予審終結決定(1)池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判
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本文    文字数=10171

予審終結決定
本籍及住居京都府何鹿郡綾部町大字本宮村
小字本宮下三十二番地
無職
出口王仁三郎
明治四年七月十二日生右治安維持法違反並不敬被告事件に付予審を遂け決定すること左の如し主文
本件を京都地方裁判所の公判に付す
理由
被告人は左に掲くる事実に付公判に付するに足るべき犯罪の嫌疑あるものとす。
被告人出口王仁三郎は京都府南桑田郡曽我村大字穴太農業兼醤油小売商上田吉松の長男にして偕行小学校卒業後家事手伝の余暇漢籍及神道国学に関する書籍を繙読し明治三十一年四月静岡県清水市下清水稲荷講社総本部総理永沢雄楯に就き鎮魂帰神の法を習ひ神道教授病気平癒の祈祷等を為し居りし処明治三十年頃より同府何鹿郡綾部町字裏町に於て金神の大本と称し艮金神を祀り祈祷禁厭等を為し居りたる出口直事出口なかより援助の依頼を受け、明治三十二年七月なか方に赴き、大本の宣伝機関として金明会を組織し、其の会長となり同人を擁して大本教主と為し、之を補佐し宗教類似の団体を結成し病気平癒及開運の祈祷禁厭等を始め明治三十三年一月なかの五女出口すみと内縁を結び、同年二月頃金明会を金明霊学会と改称し、大本本部を同郡綾部町本宮に移し大石凝真素美の言霊学、古事記、日本書紀、万葉集、平田篤胤、本居宣長の著書、仏典、聖書等を研究し、明治三十九年九月京都皇典講究所分所に入学し、明治四十年三月同分所を卒業し神職試験に合格して建勲神社主典及御嶽教主事となり、同主事奉職中明治四十一年八月金明霊学会を大日本修斎会と改称し機関紙直霊軍を発行し、次て同敷島新報を発行し明治四十三年十二月ナカの婿養子となり、明治四十四年一月スミと結婚し、同年十二月出口家の戸主となり、大正五年四月二十二日大本を皇道大本と改称して、大正六年一月より機関紙神霊界を発行し、同年二月皇道大本教主となり、ナカを教祖又は開祖と称し、予てより同人か筆先と称し平仮名にて意味不明瞭なる辞句を手記し居りしに乗じ、我国体を変革して、自ら日本の統治者たらむとする不逞の意図の下に古事記及日本書紀の国常立尊、豊雲野尊、大国主命及少名毘古那命に関する記事に曲解を施し、之に弥勒下生経の弥勒菩薩下生の予言、基督教の基督再臨等の思想を取入れて、国常立尊及豊雲野尊の退隠及再現等を説きたる不敬不逞の大本教義を案出し、之をナカ及自己か神の霊代として手記したる神諭なりと詐称し、大正六年二月以後発行の神霊界等に掲載発行して宣伝し、ナカか大正七年十一月六日に死亡するや更に、其の頃より古事記の神代の記事に曲解を施し、地球は素盞嗚尊及大国主命の統治すべきものなる旨、及、至仁至愛の神霊素盞嗚尊の再現を説きたる不敬、不逞の大本教義を案出し、之を自己か同神等の霊代として手記したる神諭なりと詐称して神霊界等に掲載発行して宣伝し、天照皇大神(大本皇大神)を主宰神とし、大正八年八月スミを二代教主と為し、被告人は教主補として事実上皇道大本を統轄し其の拡大強化に努め、大正十年二月には信者約一万人支部約百二十個所を算するに至りたり。
 然るに神霊界に不敬の記事の掲載したること発覚し、大正十年二月不敬並新聞紙法違反罪に依り起訴せられたる為、皇道大本の名称を単に大本と改め、同年十月五日京都地方裁判所に於て同罪に因り懲役五年の言渡を受けたるに拘らす、依然当初よりの不逞の意図を改めずして、同年十二月三十日以来神界、霊界のことに仮託し、前記不敬、不逞の大本教義の敷衍補充して著述したる霊界物語数十巻を発行し之を神書、神示なりと詐称して宣伝し、大正十一年二月大本修斎会を大本瑞祥会と改称して之を大本の活動機関と為し、其の後同府南桑田郡亀岡町亀岡城趾を大本天恩郷と称し、大正十四年六月大本の外廓団体補助機関として人類愛善会を創立し、昭和二年五月十七日大審院に於て同年勅令第十一号大赦令に依り前記事件に付免訴の言渡を受けたるより、之を利用し、役員、信者等に対し同事件は大本に反対する者の策動に基因したるものと信せしめ、同事件の為離散したる信者を復帰せしめ信者の結束を固むる目的を以て、昭和二年五月二十七日同府何鹿郡綾部町本宮のみろく殿に信者を召集して、開窟奉賽祭を執行し其の頃より右綾部町本宮を主として祭祀の中心地亀岡町天恩郷を主として教義宣伝の根拠地とし前掲大本教義を宣伝して、現世の立替立直し、みろく神政成就を強調すると共に皇道の美名の下に信者の獲得に努め来りたるものにして、該教義に於て強調する立替立直、みろく神政成就即ち国体変革に関する理由として説く所の要旨は、
(一) 天之御中主大神は天の御先祖、みろく菩薩、至仁至愛の神にして同大神の御精霊体の完備せるを天照皇大神、撞の大神と称ヘ天照皇大神、伊邪那岐尊、伊邪那美尊は三神即一神にして之を撞の大神、みろくの大神、天の御三体の大神又は天の御先祖と称ふ撞の大神は国常立尊を大地球の先祖として大地の修理固成を命じ給ひたるを以て、同尊は地上の主権を帯ひ国土を統治し給ひたるも其の施政方針、霊主体従、厳格剛直に過きたる為部下の万神は衆議の結果撞の大神に国常立尊の退隠を奏請するに至れり。仍て撞の大神は巳むなく国常立尊に対し艮へ退去すへしと厳命し、且潔く退辞せは時節を待ちて再ひ主権者に任し汝の大業を補助すへしとの神勅を下し給ひたれは国常立尊は無念を忍ひ退隠して艮金神となり。同尊の妻神豊雲野尊も坤へ退隠して坤金神となりたり。
 然るに国常立尊の退隠後支那に生し給ひたる盤古大神即ち瓊々杵尊日本に渡来せられ国常立尊の後を襲ひ給ひ爾来瓊々杵尊の御系統に坐す現御皇統に於て日本を統治し給ひたる為体主霊従、悪逆無道の現社会を招来し優勝劣敗、弱肉強食の惨状を呈するに至れり。
 茲に於て国常立尊の出現を要する機運到来し撞の大神は艮に退隠せる国常立尊に対し再び地上の王権を付与し給ひしかは同尊は豊雲野尊と共に綾部に再現し現代の混乱世界を立替立直して至仁至愛の世と為し、又撞の大神は前示神勅実行の為地上に降臨して国常立尊の神業を補佐することとなり、右三神は出口王仁三郎を機関として顕現したるを以て、王仁三郎は国常立尊、豊雲野尊及撞の大神の霊代として現御皇統を廃止して日本の統治者となるへきものなり。
(二) 伊邪那岐尊の神勅に依り天照大御神は高天原即ち太陽界の主宰神素盞嗚尊は大海原即ち地球の主宰神と神定まり、天津神と国津神との間には歴然たる区別あり。太古日本は素盞嗚尊の御子孫にして国津神なる大国主命か武力を以て統治し居られたる処、天照大神は天孫降臨に先立ち大国主命の許に三回迄天使を派遣せられ、遂に武力を以て同命の権力を制し給ひしかは大国主命は力尽きて日本の統治権を天孫に奉還して隠退せられたり。其の後日本及世界を統治せられむか為天孫降臨し給ひたるも未完成の世なりし故、天の大神の御大望は完成するに至らず従て弱肉強食の修羅の世と化し去り、地上は全く崩壊せむとするに至れり。茲に於て至仁至愛の大神は命令を下したる為盤古大神即ち天孫瓊々杵尊は地上の統治権を国常立尊即ち大国主命に返還するの巳むなきに至りたるに現御皇統は今猶日本を統治し給へり。
(三) 伊邪那岐尊の神勅に依り天照大御神は高天原即ち太陽界の主宰神素盞嗚尊は大海原即ち地球の主宰神と定まり、天津神と国津神との区別歴然と神定まりたるを以て、日本は勿論全地球は素盞嗚尊之を統治すべきものなること右神勅に依り明瞭なり。従て同尊及其の御神系に於て日本を統治せられたらむには天孫瓊々杵尊御降臨の必要なかりしものなり。然るに素盞嗚尊は諸神の反抗を受け神逐に逐はれ次て同尊の御子孫なる大国主命も亦天孫に帰順し、天津神なる瓊瓊杵尊降臨し給ひ爾来同等の御系統なる現御皇統に於て日本を統治し来り給ひたるも、元来国津神の御系統の統治すべき日本を天津神の御系統に於て統治し給ふは、右伊邪那岐尊の神勅に背反するものにして之か為現代の如き優勝劣敗、弱肉強食の紛乱状態を呈すに至りたるものなり。
因て至仁至愛の神及素盞嗚尊は出口王仁三郎を機関として顕現し、現代の紛乱世界を立替立直して至仁至愛の世と為すこととなりたるを以て、王仁三郎は至仁至愛の神及素盞嗚尊等の霊代として現御皇統を廃止し日本の統治者となるべきものなり等と謂ふに在り。