出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
出口栄二選集 第1巻──大本の思想と歴史 (全4巻)1979.05聖師の思想の一貫性出口栄二参照文献検索
キーワード: エピソード
詳細情報:
和明 聖師さまは、若い頃から晩年まで一貫してその思想は変わっていない。
栄二 そう変わっていない。
和明 あの当時の険しい情勢下に、いかに聖師さまが苦心して、教団をひっばり、自己の正しい主張を述べてこられたか……。
 それが共産党のように、自分の主張を真向から叫びつづけて弾圧される道もあるでしょうが、しかし、聖師さまはもっと大物であり、日本を、世界を救済するためには、安易に玉砕するわけにいかない一と、そのためには、天津日嗣を持ち出したりして、表面を糊塗しながら、節を曲げずに教団を発展させていかれた。
 ところがはたして現在の大本の信徒の中で、聖師さまが一貫して考えられていた思想を充分理解しているかどうか……。
栄二 それはねえ、聖師さま……切歯扼腕して、ほんまは出したいんやけど、幹部も理解してくれんし、幹部どころやない、ちょいとでも出そうとしたら弾圧をくう……このご苦心というものは、なみたいていじゃなかったと思う。
(中略)
 (霊界物語を)論文調でなく、物語に、大小説、ドラマティックに、劇的にお述べになっている。この苦心というものをなぜ信者はもっとうけとめようとせんのかと……。
和明 私は、もし今日聖師さまが、『霊界物語』を書かれたら、もっとずばりと言っておられると思う。当時だからああいう形をとられた。
栄ニ あれが最高の最大限の表現の仕方だろうなあ、そう思う。
和明 聖師さまの論文にしてもそういう眼で内意を見ないと、聖師さまが、こう書かれておるじゃないかと表面的ではねえ。
栄二 その大精神というものをくみとらないかんと思うな、あの流れている大精神を……。
 聖師さまは、古事記とか、日本書紀なんかを、一方では大本の三大教典と言われながら、本当は……本当に三大教典だったらもっと忠実に古事記や日本書紀を国学者が解釈するようにされないかんわけですよ。ところが全然逆なんですね。そういったこともよく考えて、聖師さまのご精神が何であったか、ちゅうことをくみとらなかったらいかんと思う。
和明 私も、聖師さまが、古事記をそんなに大事に思っておられなかったと思う。
栄二 ああ、思ってられない。
和明 古事記を持ち出さなかったら、当時聖師さまのご精神を表現できなかった。
栄二 そう、できない。そういうことを考えたときね、聖師さまのたくましい、本当の精神は奈辺にあったかと、ここから出発しなかったら聖誕百年の意義はないと思うなあ。
和明 大思想家としての聖師をここで出現させんと……。
栄二 そう、そう、そうせんと、あれはこう書いてある、こう書いてあるちゅうようなことを言っていたら、頭の中が混乱する。まさに自家撞着ですよ
 しかし、それは、聖師さまの自家撞着ではないんだ。聖師さまが、いかに本当の本質的なものをどういうふうに後世に……、わしの本当の精神を今後残し、発展せしめてくれるか、という、そういう大きな、偉大な精神から書かれていると思う。
 聖師さまは、単なる学者ではないんだ、単なる物書ぎじゃなかったんだ。そういうご苦心、これを今日どう新しく発掘していくかと、そして、それを再現せLむるか、そしてそれをより一層社会に具体的に打ち出すか、これは聖師聖誕百年の大きな意義じゃないかと思うなあ。
 だから本当に聖師さまがおられたら、今何をされるやろうかという、聖師さまの精神をたえず、毎年の記念日だけやのうて、たえず念じ実行するというのが信仰やと思うな。