出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
出口栄二選集 第1巻──大本の思想と歴史 (全4巻)1979.05神話世界の展開出口栄二参照文献検索
キーワード: 霊界物語
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 厖大な物語のなかの文章の表現の形体は、論説あり、随筆もあり、また詩歌もあり、内容と構成全体の構成が小説風に仕組まれており、特に「天祥地瑞」の大部分は連歌体や間答体の和歌で物語の形式に表現されており、宗教の教典としては全く独創的なものといえると思います。王仁三郎がこのような表現形体を用いた意図のなかには、「なるべく読者の了解しやすからんことを主眼」としたことと、同時に絶対制下にあって言論、思想、良心等々の自由のない時代的な制約が大きく影響していたと考えられます。
 全八十一巻、八十三冊にも及ぶ大本の一切経とも言うべき『霊界物語』は、人はよく「あまりにも多すぎて空々漠々雲をつかむようで何をいわんとしているかわからない」と申します。たしかにそういう面もなぎにしもあらずで、神々の名前だけでもあまりにたくさん出てまいります。神代における神々の活動範囲は日本のみならず世界を舞台、否、地上の国々をそれこそ牛若丸や霧隠才蔵みたいに、ここと思えばまたあちら、ドロンと消えてはまた現われる神変不可思議の術をもって活躍されるわけです。
 しかし、神々がかくも華やかに活動されるのは何のためだろうか?それは、理想成就のための神々の使命であり、主の神、主なる神の命による人類救済の神々の活動の一覧すなわち霊界物語-であるからなのです。私達は、この主の神なる大本神の出現を信じ、その理想の一端の御用を担うものとして信仰をする者です。そこに人生の生きがい、幸福を発見する者です。
 大宇宙の大元霊神たる大国常立大神(天之御中主大神)の無限絶対無始無終の神神話世界の展開力によって宇宙は創造され、その分霊神たる国祖国常立尊は妻神豊雲野尊とともに地球の世界を修理固成され、天地の律法を定め、霊主体従を基本方針として地球上一体としての祭政一致の神政を開かれた。天使長を任命し世界各地に十二の国魂神を配置して、神政を分掌せしめて世界の経綸を遂行されていました。
 ところが、国常立尊の神政に対し、しだいに邪神悪神に憑依《ひようい》された八百万の神人達は、不平不満を唱えるようになり、やがては国常立尊の分霊神たる稚姫君命《わかひめぎみのみこと》や、豊雲野尊の分霊神たる天使長・大八洲彦命達、また金勝要神の分霊神たる神人達は相ついで隠退させられたのです。このように八百万の神人達の暴逆は日増しにつのり、ついには主宰神国常立尊を排斥するに至り、ついに艮《うしとら》に隠退されるのやむなきに至ったのです。ここから艮の金神《こんじん》と呼ばれるようになり、妻神の豊雲野尊も夫神に殉じて、みずから坤《ひつじさる》に隠退し、坤の金神と称せらるるに至りました。
 しかし、国祖隠退後の地上は邪神悪神がはびこり、体主霊従《われよし》を方針とする盤古大神《ばんこだいじん》系の神人と力主体霊《つよいものがち》を方針とする大自在天神《だいじざいてんじん》系の神人の勢力相争う世となり、混乱を重ねました。このまま放置しては地球がつぶれてしまうと心をいためられた艮の金神は、野立彦命と名を変えられて天教山(富士山)に現われ、坤の金神は野立姫命と名を変えて地教山(ヒマラヤ山)に現われ、正しき神人を集めて宣伝神とし、世界の各地に派遣して国祖の予言警告を宣伝せしめられました。艮の金神の予言警告のごとく、やがて天地は変動し、五百六十七日にわたる大洪水と大地震が起こり、地上のすべては滅亡するかと思われましたが、艮・坤二神の至仁至愛の尊いあがないによって、すべてのものは救われます。
 大国常立尊は、伊邪那岐尊《いざなぎのみこと》、伊邪那美尊《いざなみのみこと》を降臨せしめ、大洪水後の地球を修理固成し、「国生み、神生み、人生み」の神業を進めさせられたのですが、ウラル彦の創設した「大中教」によって、地上の神人は極端な利己主義となり、ふたたび世は暗黒となります。そこで伊邪那美尊の神業を補佐するため、野立彦命は埴安彦命《はにやすひこのみこと》と現われて「五大教」を開き、野立姫命は埴安姫命と現われて「三大教」を興し、両教を合一して「三五《あなない》教」が出現し、救世の道が開かれます。大本出現の理由はここに発しているとするのであります。
 豊雲野尊が神格化して顕現化した素盞鳴尊は大海原(地球)の主宰者とされていましたが、国常立尊の系統の神々を隠退せしめた魔神の暴動により、ふたたび地上は妖気に満ち満ち、収拾すべからざる状態に陥り、太陽界の主宰神たる天照大神との「誓約《うけい》」、天の岩戸隠れとなり、素盞鳴尊は千座の置戸を負わされて、「神《かん》やらい」にやらわれました。しかし伊邪那美尊の神命により、贖罪神として救世《すくい》の神業《みわざ》を開始されます。やがてハルナの都にわだかまる大黒主に憑依する八岐大蛇《やまたのおろち》の邪霊を言向けやわし、五六七《みろく》神政を成就して、国祖国常立尊を地上霊界の主宰神たらしめるという、『お筆先』では断片的に述べられていた国祖国常立尊の隠退再現間題が、『霊界物語』では理解しやすく系統的に述べられております。
 また素盞鳴尊の贖罪神としての救世の神業、また他の神々の因縁、由来等々、みろくの世の到来という大本独特の神話の展開が『霊界物語』の主軸となっております。そしてまた、このような神話が展開されるなかで、宇宙創造から主神の神格・神と人との関係・霊界の真相・世界観・人生観・平和観・宗教・政治・経済・思想・教育・芸術・人生問題等々万般にわたって触れ、読む人に光明を与えてくれるものと信じております。
 王仁三郎は『霊界物語』の冒頭に「苦集滅道を説き道法礼節を開示せしものにして、決して現界の事豪に対し、偶意的に編述せしものにあらず、されど神界幽界の出来事は、古今東西の区別なく現界に現われ来ることも、あながち否み難きは事実にして、単に神幽両界の事のみと解し等閑に附せず、是に依りて心魂を清め言行を改め、霊主体従の本旨を実行されん事を希望す」(『霊界物語』第一巻序文)と述べております。
 さらに、『霊界物語』の教学的な位置づけとして、「霊界物語そのものは、つまり瑞月の肉身であり、霊魂であり、表現である」(『霊界物語』第四十巻モノログ)として強調しています。そして「血とあぶら搾るが如き心地してわれは霊界物語あみぬ」と詠み、自分のもてるすべてをここに表現したことを語っております。
備考: 出口栄二による霊界物語の梗概