出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
幼ながたり(おさながたり)1955.04.15オツルさん出口すみ子(澄子)参照文献検索
キーワード: 出口澄
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王仁三郎資料センター
 
本文    文字数=5932

オツルさん

 京都で私に附いた担当は一人は厳しい人でしたが、一人は優しい人が居りました。優しい女の人で初めから私に好意をよせてくれ、
「わしはあんたが懐かしくて、懐かしくて仕様がありません。こういう気持ちを担当の私が、今あなたに抱いてはいけないことですが、私はおさえようとしてもおさえ切れないのです。私はあなたのそばに来ると、何かあなたにしてさし上げたいという心がこみ上げてきます。しかしこれは担当の私には許されていないことです。それでも私は、あなたに何かしらぬ懐かしい慕わしい気持ちがわくので、止めることが出来ず苦しみます」ということを打明けてくれました。もっとも、こんな長い言葉が伝えられる迄には、かなりの日数がかかっているのであります。それは、もう一人の担当の人の手前、そう永く、私と話はでき難いからであります。ある時、
「あなたは何がお好きですか」と小さな声がしました。
「私は何んでも好きですが、しいて好きなものをあげたら、巻ずしが好きです」と答えると、次の日、巻ずしを買うてきて、そっと入れてくれました。これはこの優しい担当の人が自分のほう給の中から割いて、私のためにしてくれたのです。もちろん、この人はこれ迄なんのゆかりもない人で、私の家の教えの信者でもなんでもありません。ある時は黒砂糖を入れてくれました。また或る時、窓口から火の点いたタバコをさし出して、私を喜ばしてくれたことがありました。その時、私は一ペんタバコがのんでみとうてしようがない時で、どれだけうれしかったか知れません、その時、
「一時間ほど人が来ませんさかい、今のうちに喫うて下さい」というてくれました。未決では、百万円だしても、タバコは喫えんというところですから、有難いことじゃと神様にお礼をしました。その時、タバコを喫いながら、こんなことを考えました。
──これは、神様が、この事件はどうなるだろうと心配している私に謎で教えて下さったのだ。この事件は煙になって消えてしまうということに違いない。こんなところに入ることのないものが入ったのやから、これは煙りになるということを神様がいうて下さったのである。──
 そう思いながら、私はタバコを喫うていました。この時のタバコほど、美味しい嬉しい味というものはあるものではありません。タバコは喫えば減る、喫わずと置いておいても減ってゆく、喫んでも惜しい、喫まずとも惜しいで、一本のタバコを心ゆくまで楽しみました。タバコをくゆらしていると紫色の煙の中から、綾部のこと、本宮山のこと、穹天閣のことが思い出されて来ました。綾部に居るころ、晩げになると、ちょっと畳の上に横になって、庭の夏草や木の茂みを見て、タバコをのんでいたその時のそのままの気持ちが甦ってきて、懐かしゅうて、それは嬉しゅうて、よい気持ちになっていました。
 その担当の人はオツルさんという人でしたが、ある時宮津に女囚人を護送していった帰り、その当時で五円の手当をもろうたからと、他の担当仲間にもふるまい、私には好物のうどんをそっと入れてくれました。
 優しい担当のオツルさんが、突然、
「九十八番さん(私の監房での番号)。私、近いうちに辞職することになりました」と言うてきました。私は良い担当さんであったので、
「何で辞職するの……」ときくと、
「私大分と規則を破りましたので、もう来られませんわ」とうつむかれました。私は、
「何して規則を破ったの」と聞きましたが、それには答えず、
「私はいま退いても、恩給がもらえますし……」といって、それきり退いてしまわれました。不思議なことにその担当のお父さんは京都の山科刑務所で同じ担当の部長をしていて、その人が先生の担当をさせられ、先生によくしてくれたそうです。正直者のオツルさんは、私に親切にしたことを規則破りをしたと気に病んで、さりとて勤めて居れば私にしてやりたいしと、とうとう辞めてしまわれました。
 ある日、担当の部長が私に、
「ちょっと来てくれ」というので行ったら、
「ちょっと、尋ねるが、お前は××から物をもらったか」ときくので、
「オツルさんですか、もらいました」
「何回もらった」
「何回か忘れましたが、砂糖やら、いろいろもらいました、わたしは要らんといいましたが、くれるというので貰いました」
「それは女どうしだから当たり前やが」
「それでオツルさんは辞めさせられるのですか」
「辞めさせられるのとは違うて、宮津の方へ転勤になることになった。根性の悪い担当がいて、その人に告げ口されたのでな」と話してくれましたが、オツルさんは宮津の転勤を断わって、やはり初めにいっていたように家庭の人となったということです。
 私はオツルさんにも一ペん会うて、よく礼をいうてみたいと思っています。