出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
幼ながたり(おさながたり)1955.04.15一一 屑紙集めと紙漉きのこと出口すみ子(澄子)参照文献検索
キーワード: 出口澄
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王仁三郎資料センター
 
本文    文字数=6357

一一 屑紙集めと紙漉きのこと

 教祖さまが、世間で言いますと身を落として、紙屑買いをされましたと言うことも、これはただの暮し向きのためというのでなく、神界からさせられていなさったので、こういうわけが分からなければ、本当にものははっきりとせんのであります。
 教祖さまの実家が桐村家というのは、もと園部の桐の庄に住んでおられましたからと聞いております。この桐村の祖先もこの国での最も由緒のある血統の家柄でありましたが、ずっと大昔に戦に敗れ丹波に逃れてきて、桐の庄で野鍛治をして過ごされたと言うことであります。それから丹後に移られ、後に福知山に出られたので、そんな具合で桐村家には丹後に親戚がありまして、わたしの子供のころシゲスケという親類の人が刀をさしてやってきたことを覚えております。昔の本当の歴史は、古い書きものや、証拠がだんだんとなくなり、書きかえた時代もあるそうですが、昔の本当の血統のことを書いたものがまだ日本のどこかには残っていると思います。
 教祖様の屑紙集めは、艮の金神様のご因縁にそのもとのわけがあるのであります。艮の金神様はきびしい善一筋の正しい神様でありましたが、それが世に伝わっているように悪神、たたり神として押込められなさるまでになったのであります。そうして金神様のけいとうの神々も悪神として追いまくられて、ちりぢりばらばらになって世におちなされたのであります。
 そうして永いながい時節がながれました。
 そのあいだに地の上は乱れきってどうにも仕様がなくなり、このままにほっておいては、地球が泥海になるより仕様がないので、このうえ悪神に世をもちきりにさしておけんので、艮の金神様がおもてに再びお現われになりまして、もとの神の世にかえされることになりました。そこで先ず、世におちている神々をおもてに出して三千年余りてのお仕組みどおりになされることになって、そのお仕組みの大切な原型として神界からのご命令で教祖様に紙屑買いをさせられたのであります。この型を種として世におちている金神、八百八光の金神をあげて、正しいもとの神の世につくりかえられるご経綸であります。
 教祖様の紙屑買いは悪神としてすてられ、押し込められ、追いまくられたもとの正しい金神様たち即ち神様、ちり紙のように世にすてられたカミをひろい集め、すなわちお救い申し上げて世におだし申す御用の型であります。世には教祖様が貧苦におちて紙屑買いをはじめなされたと思い、また神様が教祖様のみたまを磨くためにどん底の行をさせられたと思っている方がありますが、教祖様はそんなチョロコイ紙屑買いではありませんから、そんな考えではこの世の本当の姿は分からないものであります。
 教祖様は紙屑買いに出られます時には格別に折り目正しい着物をき、髪もきちんと結われて出掛けられたので、世間では紙屑買いにはうつらんと噂したくらいで、まことに潔らかなお姿でありました。また単なる紙屑買いでなかったことは、買ってこられた屑紙を丁寧に篭にわけられて、サネカズラやコウゾの紙の原料と一緒にして蔵われたことであります。
 こういうわけで、神界からのお仕組みで教祖に屑紙集めをさせられたのでありますが、この教祖様の神業を救けられたのが清吉兄さんの紙漉業であります。
 私には、およねさん、おことさん、おひささん、おりょうさんの四人の姉さんと、竹蔵さん、清吉さん、伝吉さんの三人の兄さんがありました。そのうち清吉兄さんは大本のお筆先で日の出の神の御守護となっている方であります。たいへん美男子であって侠客肌の男でありました。この清吉兄さんが早くから綾部町上野の家中の寅さんの所へ紙漉きの稽古に行っていました。
 私の四つの時でありました。お父さんが一本木の喜平さんの家の建前を手伝いにゆかれて、庇から落ちたのが因となり中風がおき半身不随になられた上、その時に兄の竹蔵さんは興村の吉蔵さんの所へ大工の見習い奉公に行っておりましたが、職人になることが厭で自殺をはかられ重傷というので、教祖様はあわてて興村に行き竹蔵さんを戸板に乗せ、つれて帰られました。
 それでお父さんの実家に奉公していたひさ子姉さんを呼び戻しお父さんの看病を手伝わせ、おりょうさんや私の守りをさせられましたことは前に書いた通りでありますが、この時、教祖様の紙屑買いのお仕事が始まったのであります。それで清吉さんを家に呼びもどして、教祖様の集められた紙屑を新らしく清吉さんに漉きあげさせられたのであります。私はお父さんの病気は影法師くらいにしかおぼえておりませんが、清吉兄さんの紙漉きは今もありやかに思い出すことが出来ます。清吉兄さんは紙漉きの原料としてコウゾやサネカズラの植物を集めたりしていました。それを教祖様の集められた紙屑に足して新らしい紙に漉き直していました、その新らしい紙をまた教祖様は屑紙とかえて歩かれました。
 このように教祖さまは屑カミをひろいあげて新らしい紙に漉きあげ、その新らしいカミをまくばられる型をなされたのであります。これは諸国に新らしく神々をまくばられる型をなされたのであります。