出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
庚午日記 全11巻1930.01~1930.12嗚呼既成宗教月の家参照文献検索
キーワード: 他宗教批判
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本文    文字数=3424

 人類の祖先と称するアダム・イブが、神様の禁制の智恵の果実を神意に反いて採食した罪悪の報いに由って、其の子孫たる世界の人類は、開闢の始めより今日に至るまで祖先の罪悪の血を受けて居るので、残らず大罪人所謂罪の子として生まれて来て居るから、地獄に其の霊魂は落とされ、消えぬ火に焼かれて無限の苦悩を味わう可きものである。その惨状を、全智全能にして絶対の権威に坐す無限愛なる神は甚く憐れませ玉いて、最愛の独り子なるエスを現世に降し、十字架に釘付けて之を殺し、キリストの名に由って天帝に祈願するもの而已之を天国に再生せしめ賜うと説くのが、既成宗教キリスト各派の教理である。
 以上の如き教理は、数千年以前の人智蒙昧なる野蛮時代に於ては、多少の脅嚇も誤魔化しも効力があったであろうが、現代の如く、不完全ながらも科学の進歩に向かいつつある時代には、何人と雖も常識を備えたる者は信ずる者の無いのは、当然過ぎる程当然の帰結である。精神上に大なる欠陥ある者か癲狂痴呆の徳にあらざる限りは、之を信ずる事は出来ない筈である。誠に思え、現今の如き矛盾と欠陥の多い自己愛のみの社会に生まれた現行刑法、即ち神ならぬ凡人の作った法律でさえも、祖先又は父母兄姉が大罪を犯したとしても、其の子孫又は弟妹にまで罪を科すると云う様な不合理は施行しないのである。
 況んや全智全能であって愛の本体とも称する神が、祖先の罪を何十万年末の子孫にまで及ぼし、之を地獄に投ず.べき理由は無い筈だ。万々一左様な没分暁漢の神とすれば、それは世界の大魔神であって、吾々人類の赦す可からざる敵として此の宇宙から宜しく放逐すべきである。然るに現代の立派な紳士と云わるる人の中にも、こんな不合理な不徹底な教理否狂理を信じ、斯かる没分暁漢の魔神に憐れみを乞い赦されん事を祈り、安心立命を得んとするは、木によりて魚を求めんとするにもまさった愚劣さであり、卑怯さである。
 文化の進んだ二十世紀の現代には、既に已に大部分の人民より捨てられているのは当然である。既成仏教と雖も、キリスト的の脅嚇や誤魔化しはあるが、是とても既に已に宗教としての価値は認められていない。仏教の大乗部は別として、小乗部の教理なぞは婆媽だましの世迷言である。数千年以前の人智未開の世に適した宗教の教理を今日に施行せんとするのは、三冬厳寒の頃に用いた綿入れ着物を、土用三伏の酷暑の時代に着用せよと教うると同様にして、愚の骨頂である。斯かる教理を臆面もなく誠しやかに説いているその野呂さ、迂愚さと云ったら、到底論ずるの価値さえなきものである。斯くして既成宗教の各派は日に日に破産して行くのである。滅亡の淵に向かって直進しつつあるのである。
(『庚午日記』七の巻昭和五年八月一日)