出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
庚午日記 全11巻 | 1930.01~1930.12 | 宗教法案の愚挙に就いて | 月の家 | 参照文献検索 |
キーワード: その他 |
備考: 著作集(5) |
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本文 文字数=1771
又しても宗教法案を、来議会に出すとか何とか謂って居るそうだが、もう良い加減に諦めて良かりそうなものだ。日本臣民たる吾人の信教自由の権を法律を作って圧迫しようとしても、到底神明が宥し玉わない以上、人間がどれ程焦慮したって駄目である。幾回提案したって、最後は神の審判で毀される而已ならず、神罰てき面、又もや内閣の倒壊を招来する因となる斗りである。
何回提出したって此の宗教法案こそ神慮に背き憲法を蹂躪して、国民既得の信教自由権を掠奪せんとする悪法案だから、日本に神明の在します限りは、到底其の目的は達し得らる可きで無いのである。仏教各派の売僧どもは、境内地無償還附とか云う一時一寸都合の良い餌に釣られて、法案の通過を鯱になって希望して居る様だが、既成宗教を益々化石化する愚挙である。神社法にしても殆ど泣き面の体たらくである。日本に於ける宗教法案と謂い宗教統一の説などは、スフインクスさえくしやめしたり大欠伸をして居るでは無いか。
要するに同法案は既成宗教及び新興宗教に対し、法律を以て為政者が教役者を腮役し且つ死命を制し、御用金をせしめんとするの魂胆に外ならないのである。信教自由の我が日本国に、宗教法案の必要は何処にあるか。日本憲法を蹂躪して迄も吾人の自由を圧迫せんとするのか。
咄々、此の怪事よ、時代遅れよ、法律万能主義者よ。
(『庚午日記』七の巻昭和五年七月二十一日)