出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
人類愛善新聞 肉は殺しても魂魄は滅ぼせぬ 参照文献検索
キーワード: 死刑廃止論
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王仁三郎の死刑廃止論
備考: 著作集(3) P.377 平和に生きる 「不安なる内外の世相に当面して、余はひろく人々に
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 不安なる内外の世相に当面して、余はひろく人々に告げておきたいことがある。それは人の肉体は滅ばすことはできるが、その魂をも殺すことはできないということである。もちろんこれはだれでも口にする、すこぶる平凡なことであるが、ほんとうにその意義を理解し、正しくその精神にもとづいて行動する人が、いまの世にはまことにすくないようである。
 たとえば、国家社会の実状を憂うる者が、世を茶毒すると信ずる元兇を殺害するとしても、またその反対に、真に祖国のために奮闘する士が、氏衆の誤解のために、あるいは時の勢力によってことごとく斬伐されるとしても、その魂は間もなく新たなる人々に憑依して、前以上の力を発揮するものである、ということに気がつかねばならない。それは七生報国の忠臣の魂が生きとおしであると同様に、逆臣の魂といえども、人間の力でこれを殺滅することはできないものである。
 ゆえに皇道運動はあくまで思想の善導であり、魂を悔い改めしめる運動であらねばならない。かつて水戸公が、孝の道を知らない罪人に孝道を教うること三年、道を悟らしめて、しかるのちに刑を行なったというが、まことに立派なことである。ゆえに共産主義者を手あたりしだいに獄に投じ、また重刑に処したとしても、それによってその思想を永遠にほうむりさることは絶対にできないものである。刑罰をもって社会善導の第一義とするのは、まちがった考えである。
 現在の経済組織にもいくたの矛盾があるであろう。政治機構にもすくなからぬ誤謬があるであろう。だがそれらの指導的立場にある人物を殺害することによって、あやまれる経済組織、政治機構を変改することができると思うのは、たいへんなまちがいである。
 ながい間わが国は、日本固有の大精神を忘却した欧米流の教育がほどこされてきた。ゆえにかかる指導精神にはぐくまれて、その経済組織、政治機構の下に自已の名をあげ栄えをえようと焦慮している、いわゆる思想的予備軍が国内に充満しているのである。もし今日のわが国の各般にわたる組織機構の欠陥を是正しようとするのならば、そのよってたつ思想の本源を糺弾して、正道に内かわしめなくてはだめであって、一部の革命思想家の考えているような一人一殺主義は、かえって新進気鋭の後備軍を前線にぞくぞくと誘導して、味方を不利におちいらしむるにすぎないものであることに気づかねばならないのである。
 それから今一つ注意すべきことは、たとえ巷間の流説を妄信して兇暴をあえてした者にたいしても、当局は水戸公の精神をもってこれにあたるべきものであって、本人の魂を言向け和すことをなさず、いささかでも政略を混じてこれを処断することがあつてはならないものである。祖国の非常時局に際して、いわゆる急進派といわるる人たちも、また穏健派と唱うる人々も、共に国を思う赤誠にかわりがないのならば、よくよくこの点に留息して、霊主体従の大精神に基脚して皇道維新に邁進すべきものであることを、余は強調するのである。
(「人類愛善新聞」 昭和10年9月3日)