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神霊界 全9巻(復刻)1986.07皇道大意 参照文献検索
キーワード: 皇道大意 皇道大本 明智光秀 織田信長
備考: 122号 7巻 P.217
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緒論
今回亀岡大道場に於て、皇道大講演会を開く事になりました。併し皇道大本は敬神尊皇報国の大義を唱導する一大教団なるに拘はらず、所も有らうに、逆賊無道主殺しの、不倫不徳の明智光秀の城址を選ぶとは、物好きにも程がある。且又皇道の主義に対しても、何んだか釣合ひの取れない行り方でないか、相成るべくは至聖至浄の地の高天原と称する綾部の霊地に於て、開始されては如何と、知人より種々忠告を受けた様な次第であります。講習の諸氏も亦是と御同感の方々がお有りであらうと思はれます。
 それは兎に角として、私は序ながら明智光秀に就て、一言述べて見たいと思ひます。光秀が日向守と称し姓を惟任と改められたのは、織田信長公に仕へてから後のことであります。光秀の祖先を調べて見ると、清和源氏の末裔なる、六孫王経基の子多田満仲の嫡子、源の頼光七世の孫であつて、伊賀守光基と云ふ人があつた。其子の光衡が文治年中、源頼朝より美濃の地を賜ひ、土岐美濃守と称した。その光衡が五世の孫、伯者守頼清其の二子に頼兼なる人があつて、その頼兼の七世の孫こそ、十兵衛の尉光継で光秀の祖父に相当り、光秀は光綱の一子であります。この光綱と云ふのは美濃国可児郡明智の城主で、明智下野守と称へたが、早世したので光秀が尚幼弱なために、光綱の弟兵庫助光康を準養子として、明智を相続せしめたのであります。光康は後に宗宿入道と称した人で、有名な明智左馬之助光春は此人の子であります。故に光秀は其の叔父なる光康に養はれて成人したもので、光康は実父にも優る恩人である。光秀の母徳明院は光綱の死後、間もなく此世を去り(濃州明智蓮明寺に葬る)遺孤として可憐なる光秀は、用意周到なる光康の訓養に依り、幼にして聡明一を聞きて十を知るの明があつたといふ。
 光秀は其叔父の光康と共に、明智の城中に於て死せむとするを、光康が強つての乞ひに涙を呑んで、光康の息子光春及び甥の光忠を拉して諸国を遊歴し、千辛万苦の末朝倉氏に仕へ、後織田氏に聘せられて、幾多の戦場に軍功を積現し、左右に策を献じ、信長をして天下に覇たらしめ、自分は又江州丹波両国五十四万石の大諸侯に列し、君臣の間漆の如く密にして、一にも明智二にも光秀と寵遇厚く、信長の甥の信澄に光秀の四女を嬰らしめたる程であつた。一朝にして武田勝頼を亡ぼしてより、信長の心意行動共に稍驕慢の度を加へ、僅少微細のことゝ雖も立腹して功臣光秀を打擲し、家康の饗応にも再び之を罵倒し侮辱を与へ、終にはその近習森蘭丸をして、鉄扇にて其の面を破らしめ、近江丹波五十四万石の領地を召し上げて、以て中国に放たんとするに至つた。忍びに忍び耐へに耐へたる勘忍袋の緒が断れて、光秀にとりては、不本意極まる、本能寺の変起るの止むを得ざるに立到らしめたるも、此間深き理由のあらねばならぬ事であらうと思はれる。後世挙つて光秀を逆賊と呼び、大悪無道と罵る、果して是とすべきものであらうか。
 長岡兵部大輔藤孝は光秀女婿の父である。『叢蘭欲[#レ]茂秋風破[#レ]之、王者欲[#レ]明讒臣闇[#レ]之』と痛歎し、光秀もまた、
  心なき人は何とも云はゝ云へ》へ
          身をも惜まじ名をも惜まじ
と、慨したのであつた。光秀が大義名分を能く明めながら、敢て主君を弑するの暴挙に出づ。已むを得ざる事ありとするも、実に惜むベぎ事である。然し乍ら元亀天正の交は恐れ多くも、至尊万乗の御身を以て、武門の徒に圧せられ給ひ、天下は強者の権に属し、所謂強食弱肉の世の中の実情であつて、九州に島津、四国に長曽我部、毛利は山陰山陽両道に蟠居し、北陸に上杉あり、信越に武田あり、奥州に伊達あり、東国には北条等の豪雄があつて、各自に其の領地を固め、織田徳川相合し相和して、近畿並に中国を圧す。群雄割拠して権謀術数至らざるなく陶晴賢は其主なる大内氏を亡ぼし、上杉景勝は其骨肉を殺し、斎藤竜興は父の義竜を討ち、其他之に類する非行逆行数ふるに遑なき時代に際し、独り光秀の此挙あるを難ずるの大にして且つ喧ましきは、五十四万石の大名が、右大臣三公の職を有する主人を弑したりと云ふ事と、戦場が王城の地にして其軍容花々しく、以て人口に会炙することの速なると、加ふるに世は徳川の天下に移り、世襲制度を変ぜしめたる上は、光秀を其侭に付して置く事は、政策上尤も不利益であつたことゝ第二第三の光秀出現せむには、徳川の天下は根底より転覆する次第であるから、偏義なる儒者が光秀を攻撃したのが、今日光秀に対して批難の声が特に甚しいのではないかとも思はるゝのであります。
 承久の昔、後鳥羽院より関東の軍に向つて、院宣を降し玉ひし当時に於て、関東九万の大軍中、この院宣を拝読し得る者は、相模の国の住人本間孫四郎只一人より無かつたと云ふ。応仁以降海内麻の如く乱れ、文教のことは纔に僧侶の輩に依りて、支へられしに過ぎなかつた。況んや元亀天正の戦国時代、将軍義照亡びて、世に武門を主宰すベき人物皆無の時に当り、文学に志し君臣父子の大義名分に通ずるの武士、幾人か在つたであらう。
  神嶋鎮祠雅興催  篇舟棹処上[#二]瑶台[#一]
  蓬瀛休[#二]向[#レ]外尋去[#一]  万里雲遥浪作[#レ]堆
 是れ光秀が雄島に参詣されし時の詩作である。臣下を教ふるに当つては、常に大義を説き、主君が築城の地を問ふに対し、答ふるに地の利にあらずして、其の心にありといふが如き、至聖至直の光秀にして、本能寺暴挙のありしは、深き/\く免るべからざる事情の存せしは勿論であるが、然し乍ら主殺しの悪評を世に求むるに至りしは、光秀の為に反がへすも残念な事であります。我々は大にその内容を攻究せずして、猥りに世評のみに傾聴すべきものでないと思ふ。独り光秀が行動の是非を沙汰する斗りでなく、又時代観の相違を知るの必要があらうと思ひます。
 又光秀の家庭たるや、実に円満であつて、他家の骨肉相食む如き惨状あるなく、一門残らず賢婦勇将にして、加之古今の学識に富み、彼の左馬之助光春が雲竜の陣羽織を比枝山颪に翻へし、雄姿颯爽として湖水を渡り、愛馬に涙の暇乞を為せし美談のみか、臣斎藤内蔵介の妹は、常に光秀に師事して学ぶ所多く、後に徳川家の柱石と仰がれし烈婦春日局とは此の婦人なりしが如き、実に立派な人物ばかりであつた。又光秀の家系は前述の如く立派な祖先を有し、家庭また斯の如く美はしく、且つ家系は宗家の控へとして、美濃全国に君臨し、近江の佐々木、美濃の土岐とて足利歴々の名家である。古歌に
  曳く人も曳かるゝ人も水泡の
              浮世なりけり宇治の川舟
で、時世時節なれば止むを得ざるとは云へ、実に織田家の臣下としては、勿体なき程の名家であつたのであります。明智光秀の波多野秀治を丹波に攻めしが如きは、信長の命に依る所である。波多野兄弟等抗する能はずして、軍に降る。信長許して之を安土に召す。兄弟能く信長の性格を知つて容易に到らず。茲に於て光秀は安土に往復し質を入れて誓うた。兄弟は光秀の心を諒して安土に到るや否や、信長は其遅参を詰つて、慈恩寺に於て切腹せしめた。是信長秀治兄弟を欺くのみならず、光秀をも欺いたのである。
 太閤記に云ふ、秀治信長の表裏反覆常なきを怒ると雖も、今更為すべき様なし、敷皮に直り光秀に向ひ、儼然として曰く、此頃の御懇切は草陰にても忘れ申さず、但飛鳥尽きて良弓蔵めらるゝと云ヘば、御辺も身の用心をなし玉へ、信長は終に非業の死をなし給ふベし云々。秀治の臣下怒りて光秀の質を殺すも、秀治の此言を聞きては、決して光秀母を殺すと云ふべからず。これ疑ふべからざるの事実である。
 然るに中井積善の如きは
『光秀母を餌にして以て功を邀ふ、犬テイも其余りを食はず』とか、又儒者の山形禎なども、『光秀凶逆母を殺し君を弑す、他日竹鎗の誅、天の手を土民に藉りて』云々
と激評せるが如きは、悉く見解を誤れるものである。吾人をして当時の有様より評せしめたならば、『信長無残にして、光秀をして其母を殺さしむるの悲境に立たしむ』と言ひたくなる。
 光秀の質を殺すは秀治の臣下にあらず、将た光秀に非ずして、実に是れ信長なりと言ひたいのであります。
 田口文之、信長を評して日く、
『行[#三]詭計於[#二]其妻[#一]以斃[#二]其父[#一]右府所[#二]以不[#一レ]終』と、新井白石、信長を評して日く、
『信長と云ふ仁は父子兄弟の倫理絶えたる人なり』と。
 平井中務大輔が、孝道の備はらざるを諌めて、死するも宜ならずや。
 其他猜疑の下に、林佐渡守、伊賀伊賀守、佐久間右衛門尉の如き忠良なる臣下の死し、斎藤内蔵介等の如きも、信長の仕ふベき主にあらざるを見て身を退き、秀吉の如きも一日光秀に耳語して日ふ、
 『主君は惨き人なり、我々は苦戦しで大国を攻め取るも、何時までも斯くてあるべきぞ。やがて讒者のために一身危からん、能く/\注意せられよ』云々と。
 菅谷秋水、信長光秀両者を評して曰く、
 『信長は三稜角の水晶の如く、光秀は円々たる瑪瑙の玉に似たり』と、名将言行録に光秀を評して、
 『其敵を料り勝を制し、士を養ひ民を撫す、雄姿大略当時にありて、多く其倫を見ず』云々。
 是も余り過賞の言ではあるまいと思ふのであります。
 以上の所論は信長対光秀の経緯に就て略叙せしのみならず、光秀の黙し難き事情のありし事も、幾分か伺ひ知る事が出来るのであらうと思ふ。信長は光秀の反逆がなくとも、何れ誰かの手に依つて亡ぼさるベき運命を有つて居つたのであります。亦光秀が其実母を質とせし如く論ずるも、光秀の母はその幼時に既に世を去り、遺孤として叔父の光康に養はれしものなる事は前叙の通であつて秀治に質とせしは叔父の妻で、即ち光春の母である。故に質を殺すの原因も亦前陳の如く、信長より出でたるものにして、光秀に取りては、実に気の毒千万の寃罪である。何うか史上より光秀殺[#レ]母の点だけは抹殺したいものであります。
  時は今天が下知る五月蝿かな
 世界各国今や暗黒界と変じ、神代の巻に於ける天の岩戸の隠れの惨状である。吾人大日本人は一日も早く、皇道を振起し、世界二十億の生霊を救はねばならぬ時機に差迫つたのでありますから、世評位に関はつて躊躇して居る場合ではない。吾人に言はしむれば、光秀の城址たる亀岡万寿苑は、実に言霊学上却つて適当の地であらうと思ふ。その亀の名を負ひし地点は、実に万世一系の皇室の御由来を諒解し奉り、万代不易の神教を伝ふるに万寿苑の名また言霊学上何となく気分の悪くない地名である。亦明智光秀といふ字も、明かに智り光り秀づると云ふことになる。講習会諸氏は、皇道の大本を明かに智られ、神国の光り秀妻の国の稜威を、地上に輝かさんとするには実に奇妙であると思ひます。其れ故に吾人は光秀の城址だからと云つて別に厭な心持もしないのであります。
スの意義
新聞や雑誌などに昨年来、綾部の教団が、皇道大本の名を冠して居るのは、実に怪しからぬ次第だ、潜上至極だと評論したのが沢山にあつた。私は余りの事に可笑しくて堪らなかつたのであります。皇道と云へば天皇の道であるにも拘らず、臣民の分として余りに不敬であるとか、皇道の美名に隠れて、大本は世人を誤魔化す詐欺団体だとか、色々と誤託を並べたものである。今日と難も少数の人士は、皇道の名を冠する事を以て、非国民の所作の様に見做し、且つ攻撃して居る人があるやうです。私は余りに世間に無智者の多いのに、呆れざるを得ない次第であります。又中には皇道と神道と同一に見て居る人もあるやうですが、この区別は拙著王仁文庫(皇道我観)に載せてありますから、此処には唯皇道の大意のみを、説明することに致します。
 皇はスベルともスメとも訓む。故に、主、師、親の三徳を具備し、地球上を知食す大君を皇御門と申し、御孫を皇御孫命と申し、日本神国は世界を統治すべき、天賦の使命を有する国なるが故に、皇御国と称ヘまつるのである。皇御国に生を享け、皇御国の大君に仕へ、皇御国の粟を食みつゝ、結構に生活さして戴いて居る皇大君の赤子たる臣民が、皇御国の道を説き拡め、皇大神と皇大君との御仁徳を、天下に宣伝するのが何が悪いのでありませうか。子が親の大慈を崇め、兄弟に親の有難きこと、尊きことを説き聞かすのに、何処に差支ヘる所があるであらうか。吾々は何処迄も皇御国の人民にして、皇大神と皇大君とを主、師、親として仰ぎ奉らねば日本臣民の義務を全うする事が出来ないと思ふのである。猶進んで皇の言霊に就いて大略を叙して見よう。古事記の初に、独神成坐而隠身也とあるは、無色透明にして、至粋、至純、至聖、至美、至真、至善に坐しまし、無声無形の主神なる事を、表示されたものであります。言霊学の上から、霊返しの法に由つて調べて見ると、知るの返はスである。又知らす、知食す、澄む、澄ます、住む、好く、進む、縄る、助ける、覚る、醒す、栄ゆる、支ふ、誘ふ、直ぐ等の霊返しは皆スと成るのである。次にスは言霊学上より鳥の霊である。主、寿、統一は皆スの活用であります。
 又言霊学上より、スの活用を示せば、中に集まる言霊也、真中真心也、八極を統べ居る也、数の限り住む也、本末を一徹に貫く也、玉也、結び産む也、八腿に伸極むる也、限り無く無為也、出入息也、呼吸共に顕はるゝ声也、結柱也、安々の色也、自由自在也、素の儘也、至大天球の内外悉くを涌し保ちて極乎たり、無[#レ]所[#レ]不[#レ]至也、無[#レ]所[#レ]不[#レ]為也、霊魂球を滴す也、有の極也、声の精也、外を総ぶる義也等の言霊活用を有するのである。 
 猶諸種のス声の活用を略解すれば、
 『知らす、知食す、知る』等の言霊は、万世一系の天津日嗣天皇が、天の下四方の国を安国と平けく統治遊ばすと云ふ事である。
 『澄む、澄ます』の活用は、神と大君の洪大無辺なる一大威力によつて、混濁せる天地一切を清浄ならしめ、至真至美至善の国土を造り玉ひし言霊である。
 『住む』の活用は万民悉く神君の大慈の下に養はれ、至誠至直にして神を敬ひ皇室を尊び国家の恩に報い奉り、私心私欲の念なし、霊体共に水晶の如く透明潔白に社会に生存し、人生の本務を各自が全うするの意である。現代人の如く私利私欲の外敬神尊皇愛国の念慮薄くして修羅の巷にさまよふ如きは「住むに非ずして濁り居るのである」、要するに霊主体従の生活者は所謂住むと云ふ資格を有すれども、体主霊従の生活を為すものは濁り居ると称すべきものであります。
 『好く』と云ふ言霊は、万国の民争うて日本皇国に生出せむ事を好む事である。東方の君子国、日出る国、豊葦原瑞穂中津国、磯輪垣の秀妻国、姫子国、世界の公園、天国浄土、大倭日高見国、心安国、豊秋津根別国、言霊の幸ふ国、言霊の生ける国、言霊の清き国、言霊の助くる国、言霊の天照る国、惟神言挙せぬ国、万世一系の君主国等種々讃嘆の声を放ちて、皇国の神境を随喜渇仰する、至尊至貴の宝国である。地球上の人類として、誰一人我神国を嫌ふものなき皇、主、好の国であるてふ言霊であります。
 『進む』皇国の大道は進歩発展主義である。朝日の豊栄昇りに笑み栄ゆる神国である。楽天主義、清潔主義、統一主義と共に無限に発展し、宇宙一切を天国の神政に進める所の、天職を惟神に具備せる神皇の国土である故に、皇国に生れ出でたる人民は、夢にも悲観的の精神をもつてはならぬのである。
 『縋る』世界万国の民、塗炭の苦を免れんとして、東方の君主国たる日本皇国に君臨し玉ふ天津日嗣天皇の大慈徳に、乳児の母乳に縋るが如く、慕ひ来るといふ言霊である。我皇国の天皇は、世界に於ける主師親の三大神徳を具有し玉ふが故に、日本国民たる者は、天皇の大御心を心とし、世界万民の師範となり、救ひ主となり、親切に導き、以て世界平和の一大保証に立たねばならぬ天賦の職責を有つて居るのであります。す。
 『助ける』皇国の大道は万物一切を至善の教に導き助けて、各自其使命を全からしむるを以て主旨とするのである。弱きもの、貧しきもの、幼きもの、愚なるもの、凡て足らざるを補ひ助けて、神と大君の大御心を安じ奉る可き責任ある皇国の臣民である。茲に於て始めて、スベラ御国の臣民たる資格が備はるのであります。
 『覚る』とは天地未剖陰陽未分の太古より、千億万年の後の事柄までも、鏡にかけたる如く能く正覚する神智神感力を云ふ。皇道大本が古事記を真解し、大本教祖の神諭を研究する事は古今を通じて謬らず、中外に施して悖らざる、一大真理を覚悟し、以て我皇国並に皇室の尊厳無比にして、天下を統御し玉ふ天津日嗣天皇の惟神の御天職の、如何なるものなるかを覚ることを得べし。故に皇道は天地の迷雲を払ひ、神如の日月を万民の心天に照す所の神鏡であります。
 『醒す』体主霊従的人類天下に充満して、天理人道を弁へず、野獣毒蛇に等しき暗黒世界を神の大道と大君の大勅とに由つて、神人合一、霊肉一致、鎮魂帰神の権威に由り、眠れる霊界物質界の眼を醒ます可き真教、皇道大本を措いて他に何物もないのであります。
 『栄ゆる』山青く水清き蓬莱島なる日本神国は、皇大神の殊更厚き御仁恵に依つて、国運日に月に栄え、竹の園生は万世に弥栄えまし、国民は天の益人と申して、人口益々稠密の度を日に月に加へ来る、実に目出度き神国であります。斯る結構な神国に生れ出たる臣民は、一日も片時も神と君との大恩を忘れ、不敬不忠の行動を夢にもすることは出来ませぬ。万々一誤つて斯る不心得の事を行つたならば、神罰立どころに到り、栄ゆベき吾人の名位寿富は忽ちにして消え失せ、身魂共に亡ぼさるゝに到るのである、ア丶厳正なる哉、皇道の権威。
 『支ふる』政治、宗教、教育、実業、経済、哲学、思想界の行詰りを現出し、社会は将に転倒せむとする時に当りて、克く之を支持するものは、皇道大本の教である。不言実行の大本の教である。斯の如き闇黒社会は、皇道の大義普く天下に宣伝さるゝに至つて、始めて完全に支持し改良する事の可能なるは、古事記並に大本神諭の示す所であります。
 『誘ふ』宇宙万有一切に真の生命を与へ、安心立命せしむる所の権威ある皇道は、独り占有すべきもので無く、之を普く天下に誘導すべきものである。如何に暗黒界に浮沈せし人民と雖も、皇道の一大光明を認むる時は、先を争うて集り来り、神徳皇恩に浴するは、即ち惟神皇道の実体であります。
 『直ぐ』直ぐなるは万有統一の本義である。大工が墨縄を打つも、弓の矢の飛びて的に中るも、銃丸の的中するも、尺度を用ふるも、一切直ぐなるを要す。人の心も亦直ならざれば、何事も成功する事は出来ぬ。又一旦決心した事は少しも躊躇せず、直ぐに断行せざれば機を逸する虞がある。神諭に、神の教を聞いて、其場で直ぐ分りて直ぐに改心の出来る者は、素直な身魂の持主であると現はれて居ります。十日も二十日も二、三ケ月も、神諭を調べて解らぬ如うな人は、曲つた身魂であります。直霊の御魂の威力が弱い人であります。
 『主寿統一』一天万乗の大君主が、天壌と共に無窮に神寿を保ち、万世一系に葦原瑞穂国(地球の別名)を統一して、安国と平けく安らけく、知食すが故に、皇道と云ふのである。皇道は天津誠の御教であつて、人民を愛撫し仁徳を施し、現人神と君臨し玉ふ、天津日嗣天皇の御天職であり、覇道は外国の帝王等の暴力を以て民に対し来つたもので、覇道には権道が伴ふのである。故に我皇国の皇道は、天地開闢の太初より、天津神の定め玉ひし、所謂天立君主であつて、天に代つて道義的に統治遊ばす、惟神の御天職がましますのであります。
 神勅によりますれば、皇道の大意は、拙著善言美詞の祝詞及び感謝祈願の辞に明かなりとのことでありますから、之等を熟読されましたら、少しは判るであらうと思ひます。
 日本言霊学により、更に皇声の略解を試みますれば、
 『中に集まる言霊』とは、宇宙一切万事は凡て◎に集まると云ふことであります。地球の大中心なる(地質学上)日本国には、世界の文物自然に朝宗すると云ふ国徳が備はつて居ります。宗教にまれ、哲学にまれ、一切の思想問題にまれ、科学にまれ、自然的に集中するが故に、皇の国と謂ふのである。
 『真中真心也、八極に統べ居る也』の活用は、日本国水土自然の皇国の天賦的天職を示すものである。
 『数の限り住む也』とは、神皇の洪慈大徳普く行渡れる瑞穂中津国は、宇宙の所在生物、人獣鳥魚虫介一切其所を得て安住し、且つ天の益人の数は日に月に増加し、深山の奥の奥までも煙の立たぬ所なきまで、生民の安住して、神恩霊徳に浴する天国浄土である。故に之を皇国と申すのであります。す。
 『本末を一徹に貫く也』君は万古不易の君たり、臣民は万古の臣民たり、君臣の大義名分明かにして、本末内外を過たず、君は民を視玉ふ事慈母の赤子に於けるが如く、民は君を敬ひ慕ふ事父母の如く、終始一貫万世一系真善美の国体を保てる我皇国は、天来の皇道炳乎として千秋に輝き玉ふ所以であります。
 『玉也』五百津御統現の玉は、天津日嗣の玉体也、八面玲瓏一点の瑾なき八尺の真賀玉こそは、統治権の主体にして、皇道の大極であります。
 『結び産む也』天地交感して万物発生し、夫婦相結びて子女を産む、是れ高皇産霊神、神皇産霊神の妙用にして、皇道の因つて来る所以であります。
 『八咫に伸び極る也』八方十方に明かに、神と皇上との大徳自然に伸長し、至仁至治の極徳を宇内に光被し玉ふ、是を皇道と申すのであります。す。
 『限り無く無為也』不言の教無為の化、これ皇道の真髄である。古書にも惟神言挙げせぬ国とある如く、不言実行を以て、天下を統御し玉ふ御国体であつて、下国民は天津神の御子孫なる歴代の天津日嗣天皇を奉戴し、克く忠に克く孝に、夫婦相和し朋友相信じ、兄弟に友に億兆一心、上下一致、以て皇祖皇宗の御遺訓に奉答すべきは、皇国臣民の義務にして皇道の大精神である。此大精神を無限に世界各国に対して、実行の範を示すのが、皇道の本義であります。
 『出入息也、呼吸共に顕ゝる声也』酸素を吸入し炭酸を吐出する活用にして呼吸共にスースーと声を発す。此のスの声の活用こそ万物を生育し生命を与ふる神気にして、天地造化の一大機関である。天帝呼吸し太陽また呼吸し、太陰、大地、人類、万物一切呼吸せざるもの無く、斯の呼吸のスの声の活動によりて、神人立命するのである。是を皇道の大本と申すのであります。す。
 『結柱也』ウクスツヌフムユルウを言霊学の上より結びの段と云ふ。其中にて最も統一する所の言霊はスの声である。即ち結び柱であり、七十五声の中に於て最も権威ある言霊である。現今七十五箇国を言向和す、絶対的権威はスの声の活用、皇道の発揮に依らねば成らぬのであります。
 『安々の色也』小児の寝て居る姿を見ると、実に安らかにスースーと息をして何んとも言へぬ姿である。天下万民悉く皇道発揚して、天下統一し、地上に天立君主が君臨し玉ふ時は、小児の安々と眠りたる時の如く、世界万民枕を高うして安息する事が出来、天国浄土の成就する時が来るのである。是が即ち皇道の大精神である。皇国天皇の世界統御は」道義的御統一であつて、外国の如く侵略でも無く、併呑でも無く、植民政策でも無く、各自の国の天賦的使命を全うして、神恩君徳に悦服するやうになるのであります。
 『自由自在也』天地は神の自由自在である。故に神の御子たる人類は、天地の大道に遵つて総ての経綸を為すも自由自在にして一片の障害も湧起せぬ筈である。然るに万事意の如く成らずと称して、天地神明を恨むものは、神に依りての精神統一言行一致が出来て居らぬからである。皇道の本義にさへ叶へば、天下何物と難も意の如く自由訂在ならざるは無しであります。
 『素の儘也』天地自然の儘素地の儘にして、少しの粉飾も無く外皮も無く、惟神の大道に従つて赤裸々なるを素と云ふのである。例へば皇道にては神社を造営するにも白木の素地の儘を用ひ、祭具一切は木地の儘であるに引替へ、仏教の如きは、金銀其他の色を塗りて、仏堂、霊像、仏具を造るが如し。皇道は素の儘なるを尊ぶ、之を素の儘といふのである。何事も包み隠さず、有の儘赤裸々にして、純正純直なる言行を励む。是が皇道の本義であります。
 其他皇道の大本スの活用たるや、至大天球の内外悉くを滴し保ち極乎として神聖不可犯の神権を具へ、無[#レ]所[#レ]不[#レ]至、無[#レ]所[#レ]不[#レ]為、一切の霊魂球を涵し、有の極也。声の精也。地球外面を統べ治め、宇宙万有を生成化育せしむるの言霊にして、皇道の大本元は◎より始まりて◎に納まる絶対無限の神力であります。
 皇道はもと天地自然の大法であつて、大虚霊明なるが故に無名無為である。実にスミキリである。故に天津日嗣天皇の皇室を中心として、団結せる大和民族の当然遵守すべき公道であつて、天地惟神の大経なるが故に、彼の宗教々法の如く、人為的の教ではなく、皇祖天照大神の神勅に源を発し、歴代の聖皇之を継承し玉ひて、天武天皇の詔らせ玉ヘる如く、斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉である。之を一国に施せば一国安く、之を万国に施せば万国安く、一家之に依つて隆ヘ、一身之に依つて正を保つの大経である。
 上御一人としては、万世一系天壌無窮の宝祚を継承し、皇祖皇宗を崇敬し、大日本国に君臨して、世界を統治し以て皇基を鞏め給ひ、下臣民の翼賛に依りて、国家の隆昌と其進運を扶持し玉ふ、而して祖宗の恵撫愛養し給ひし所の忠良なる臣民を親愛し、以て其福祉を増進し、其懿徳良能を発達せしめん事を期し玉ひ、臣民と倶に之を遵守し、拳々服膺して、其徳を一にせむことを庶幾はせ給ふ所の御道たることは明治天皇の大勅語に示させ玉ふ所であります。
 下臣民としては、
 皇祖天神地祇を崇敬し、皇室を尊び、祖先を鄭重に祭祀し、且つ祖先の遺風を顕彰し、克く忠に克く孝に義勇奉公の至誠を以て、天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、国体の精華たる皇道を体して億兆其心を一にし、拳々服膺して、以て咸其徳を一にせむことを期し、必ず実践躬行すベき天地の大道であります。
 大量は測る可からず、大度は尺すベからずとは、其容無く其窮まりなきを以て父ある。皇道は冲なり虚なり。玄々として、乾天の位の如く、淵乎として万物の宗たり。虚中に霊気ありて自然の妙用を具ふ。虚なるが故に能く他を容れ、能く他を化するのである。名はなけれど世と倶に進み、容無けれど時と倶に移りて万教を同化し万法を摂養す。虚中の虚、霊中の霊、神妙不可測の聖道である、亦皇道は、神州の精気であつて、日本民族の血液である。皇国上代の凡ては自ら純朴高雅にして、丞々たる皇民は、敬神尊皇報国の念深く、其の人為や天真爛漫にして、其行動自然の法規に適ひ、諸外国の未開野蛮極まる風習と、相距る事雲泥の相違である。是れ全く神代以降列聖の皇道を遵奉して、国民の教養に神慮を煩はせ玉ひし、御余光に外ならないのであります。
本田親徳、副島種臣両氏が道に就ての問答あり。今参考のため左に抄録す。
 問者は副島伯にして、答者は本田翁なり。
問 天地人道を同うする乎。
答 道を同うして天道と日ひ、地道と日ひ、人道と日ふものは、各自形体の大小軽重あるのみ、故に命名同じからざるなり。
問 道は四魂を以て、之を制し得べき乎。
答 道なるものは、勇動かす能はず、智測る能はず、愛奪ふ能はず、親掠むる能はず。
問 何をか大道と謂ふ乎。
答 四魂合同し、而して之を統ぶるを大道と日ふ。
問 人間の交際、一魂を以て之に対する乎、四魂を以て之に対する乎。
答 君に対するに臣道を以てし、父に対するに子道を以てす。其の他準じて知るべし。四魂の如きは、時と地と位とにより、機に望み変に応じ、一談話を発するの間、一音一句の際、又互に没して究極すべからず。故に道と日ふなり。退いて反省し、宜しく此の一語は愛、彼の一語は親、此の一語は智、彼の一語は勇なるを察すべし。而して後、其の中道と不中道と、弁明し得べし。是を反省の道と謂ふなり。
問 何を以て道を証する乎。
答 凡そ道を証するは、過去、現在、未来互に相証するを要す。道を証するには、道を以て道を証するなり。
問 道とは何ぞ。
答 道なるものは、単一無雑なり。

 又ヨハネ伝に曰く、
 太初に道あり、道は神なり、神は道と共にありき。万物之に由つて造らる、造られたるもの之に由らざるはなし。云々
 ミチとは洪大無辺の神徳、宇宙に充ち満つるを謂ふのである。宇宙に充満せる七十五声の言霊即ち道であります。
私は是より進んで、ミチの言霊に就て略述を試みようと思ひます。
 ミの言霊活用は潤水也、眼也、回也、大也、広也、円也、多也、女也、男也(水火伝)
 形体具足成就也、其性其儘也、体也、身也、肉也、心と等しく成り在る也、御也、満也、三也、真也、物整ひ極る也、道の筒也、玉に成る也、実也、太陰也、其位を顕はし定むる也、押し引き定まる也、産霊の形を顕す也、屈伸自在也、◎を明かに見る也、天の田也、若返る也、延び極まる也、道の宿也、心の形を示す義也等の言霊活用があるのである(大日本言霊学)
 チの言霊活用は、胎内の火也、地中の火也、草也、劔也、風也、父の霊也、息の本也、五穀也、鳥の霊也、隔て限る也、年月日時の霊也(水火伝)
 内に強く満足の言霊也、心の及ぶ限り也、真に勢有る也、天球中の物事無不与也、父の徳也、無不保也、溢れ究る也、正しく周旋循環也、大造化の血也、並び備はる也、塩也、八百重の八百会也、子孫は悉く我血也、親の位を保ち居る也、親其儘也、体中の事無不与也、能く造化に伴ふ也、数の腺を保つ也、満涸有る也、乳也、外に散り乱るゝ義也、老れば縮み究むる也、千々也。(大日本言霊学)
 言霊の一節々々に就ては、活用的説明は、言霊学研究に譲り、今は、国民の教養に由りて皇道の大道を示さむと思ふのであります。

 御製
 君と臣の道明けき日の本の
         国はうごかじよろづ代までも
 君には君たるの大道あり、臣には臣たるの大道がある。君道も臣道も相侯つて寸毫も離れざるは皇道の皇道たる所以である。天壌無窮の皇道、国運万世不動不易なる所以は、皇道の権威であります。惶くも我歴代の聖皇は、此の大道を実践躬行遊ばされて、上は祖宗の神霊を敬祭し、下は人民を愛撫し給ふに由りて、国民は常に其の大慈徳に悦服し、大君に精忠を捧ぐる所以である。故に皇道大本の吾々が、朝な夕な斯道を宣明し自修他奨、以て同胞を覚醒せしむるは国民の本分にして聖旨に奉答する所以である。
 御製
 今の世に思ひくらべていそのかみ
        ふりにし書をよむぞたのしき
 進みたる世に生れたるうなひにも
        むかしのことをまづ教へなむ
 世には学ぶべき道、修むべき学、習ふぺきの教固より甚だ多く、国として行ふべき事、民として務むべき業固より尠くはない。然るに現代の世態としては、至貴至尊なる皇道を天下に宣明し、且つ奉行するより急務なるはない。皇道は実に万学の基礎万教の本源である。国家之に依つて益々隆盛に進み、国民之に依つて教養すベきものであります。政治にまれ、教育にまれ、宗教にまれ、哲学にまれ、経済にまれ、全然行詰つた今日の時代に於て、何を以て之を救済する事が出来るでありませう乎。政治家益々多くして天下混乱し、教育弥々隆にして不徳の臣民多く発生し、宗教弥々発達して迷信の暗雲天下を蔽ひ、法律の発布弥々多くして罪人倍々多く、哲学益々盛にして懐疑の雲いよ/\深く、経済学盛んに唱道せられて財界の不安日に月に加はり、医術衛生の学益々盛にして難病いよ/\多きは、現代各国の惨状ではありませんか。 畏くも明治天皇の御製に、
 よろづ民すくはむ道も近きより
         おして遠きに行くよしもがな
 伝へ来て国の宝となりにけり
         ひじりの御代のみことのりぶみ
 一家には家人の守るべき道があると同時に、国家には国家の教があり、国民には国民の守るべき道がある。況や皇国には、天地開闢の太初より皇祖皇宗の御遺訓なる皇道が厳立せられてあります。歴代の聖皇之を遵守し玉ひ、吾人の祖先亦謹んで之を奉行して来たのである。故に明治天皇は教育の大勅語を宣布し給ひ、『爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、威其徳ヲ一ニセムコトヲ庶幾フ』と詔らせ給うたのであります。
 教祖の御神諭に、『此大本は、世界の事の鏡の如くに写る大本であるから、遠国を見ないでも心を落着けて、大本の中の日々の出来事を調べて居りたら、世界の事が一目に見える、尊い地の高天原であるぞよ』と現はされてあります。今日大本が天下の新聞雑誌により、将又人の口によりて、無暗矢鱈に攻撃され妨害されるのも、皆神界よりの実地の御教示であつて、日本の移民が世界の到る所で排斥されたり、各国轡を並べて排日の声を高め、且其運動に熱中して居る実情が、鏡の大本ヘうつりつゝあるのであります。神は未来を達観し、聖人は将に来らんとする世の変動を前知し、凡人は現在の出来事を見ると申しますから、幽玄微妙なる神界の御経綸が、凡人に真解さるべき筈がありませんから、大本が天下の凡人から誤解されるのは、寧ろ当然の結果であります。丁度世界を至治泰平に救ひ助けて、天国浄土を招来せしむる天職を、天賦的に具有し実行せんとしつゝある日本国を、各国民が誤解して、盛んに排日などを行つて居るが、彼等は近き将来に於て日本国の至誠と神力と皇徳とに随喜の涙を流して、日本国を心の底より讃仰するやうになるのを知らないと同じことであります。
 教祖の神諭にも『此大本は一旦世界から悪く言はれるなれど、何も心配は致して下さるなよ。皆神の仕組であるから先になりたら何とした結構な御道であつたぢやらう、何とした有難い神様であつたぢやらうと申して、上に立つて居る番頭から下の人民が、我も私もと申して、綾部に詰めかけて、助けて下されと申して、日本は申すに及ばず、世界中から出て参るぞよ』と御示しになつてあるのである。深遠なる大神の御経綸は、人心小智の到底窺知し得べからざるものであると云ふ事を、考へねばならぬのであります。
 皇道大本の刊行書籍は浅薄極まるとか、愚劣野蛮の文章だとか、怪乱狂暴採るに足らざる教理だとか、葦原将軍と同一の精神状態を有する迷信家の団体だとか、淫祠邪教だとか、妖教だとか、怪教だとか、所在罵詈讒謗を逞しうして居る学者とか蚊学士とか云ふ御連中が、所々に散在して居ますが、皇道大本の深遠なる教義を、僅か二十分や三十分大本へ来て、実地研究をして来たとか言つて、堂々と攻撃の矢を放つ軽薄者流の多いのには呆れて仕舞ふ。古諺にも書は言を尽す能はず、言は意を尽す能はず、意亦神秘を覚る事難し。僅かに竜尾の片鱗を見て大本の研究を遂げたりと思ふ学者の御目出度さ、実に御気の毒の感じがするのである。
 皇道大本は神勅の稜威に由りて、天下の大勢を感知し、天下の驚きに先だちて驚き、天下の憂ひに先だちて憂ひ、天下の修理固成に先だちて修理固成の神業を奉仕して居る神聖なる地の高天原である。上農は草を見ずして耕し、中農は草を見て耕し、下農は草を見ても耕さずと云ふ事がある。下農にも等しき怠惰愚昧の人間の、如何でか上農者たる大本の精神が判りませうか。実に凡俗の多い現代程困つたものはないのであります。

神霊界 大正9年8月1日 皇道大意