出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
神霊界 全9巻(復刻)1986.07神諭 参照文献検索
キーワード: その他
備考: 86号 4巻 P.456
 
本文    文字数=14870

大正八年四月二十三日
 艮の金神国常立の命の筆先であるぞよ。明治二十五年から、変性男子の御魂の宿りてをる、出口直の手を借り口を借りて警告《しらし》た事実《こと》の実地が参りたぞよ。邪神界《がいこく》は一腹《ひとはら》に成りて来ると申して在りたが、神が一度申した事はイツに成りても毛筋の横幅も間違いの無いのが、変性男子の一々万々確固不易経言《うごかぬをしえ》であるぞよ。
 日本は神国で在るから、太古《むかし》の神世からの固有《もと》の教を守りて御用を致せば、何一つ邪神界《がいこく》の自由には出来ぬ神国であるなれど、今の日本の守護神人民は、肝腎の脚下にある結構な神宝を、我《われ》と我が手に踏み付けて少しも顧みず、遠き遠き西の大空ばかり眺めて、浮雲の天に御魂を取られてしもふて、日本の国の今の困難、跡にも先にもこの世始まりてからまだ無き事変《こと》が日増しに出て来て、国の大難が差し迫って来てをるのに、その日暮しの今の守護神人民のやり方、なにほど智慧や学の力でも今度は到底間に合んから、神国は神国のやり方に一日も早く立替て、日輪様を背に負ひて、何彼《なにか》の経綸を致さむと、今のやり方は日輪に向うて知らず知らずに戦うてをるので在るから、邪神界《がいこくじん》にさっぱり馬鹿に知られて、尻の毛まで一本も無き所《とこ》まで曳き抜かれてしもふてをるので在るから、今に成りてなにほど立派な事を申しても致しても四つ足の耳へは這入《はい》りは致さんぞよ。
 日本は結構な神国であり、天子は天照皇大神《あまてらすおほかみ》様の直系《じき》の生神様であるから、これぐらひ立派な神国は、この広い世界に外にモ一つは無いなれど、日本の国の守護神人民は全然《さっぱり》四つ足の精神と日本魂《やまとだましい》とを摺り替えられてしもふて、今の人民の行状《をこない》、これでは到底神国の責任が果たせぬから、永らく出口の手で充分に気を付けたので在るぞよ。
 日本の国体を学理的に闡明《せんめい》して、世界の人文の発達にをける、日本独特の使命を発揮すると申して、一生懸命に国家のために骨を折ってをる大学者が在るが、日本の国体と申すものは、世界に類例《るい》の無い神の建てたる立派な国体であるから、今日《こんにち》のような不完全な幼稚な学理で解決の出来るやうな、ソンナ国体では無いから、今の体主霊従《から》の精神《こころ》を根本から立直して掛からぬと、到底見当は取れは致さんぞよ。敬神尊皇愛国の精神が、日本の天賦の日本魂《やまとだましい》で在れども、今の日本の学者は、神の建てた神国と言ふことを忘れてをるから、なにほど立派な尊王愛国論を唱導致しても、肝腎の皇祖の神が判らぬから、御魂が無いから、なにほど骨を折ても駄目であるぞよ。こう云ふことを申すとまた今の鼻高は、綾部の大本は世界の大勢に逆行する、危険な頑迷思想であると申して、力一杯反対いたすものが出て来るなれど、なにほど反対いたしても、ソンなことに往生いたすような神でありたら、三千年の永い間の苦労をいたして、世の改造《たてかへ》は仕組は致さむぞよ。
 一日も一刻もすみやかに改心いたして、神国のやり方にいたさんと、今に上げも下ろしも成らん事が出来いたすから、日本の守護神人民に神から気を付けるぞよ。神は毫末《ちっと》も嘘は申さむから、日本の人民は早く改心致して、世界神国成就の準備に掛かりて、日本の国民の天職を全う致して下されよ。神が今度は現はれて、天と地から守護いたすから、一旦は何が在ろうとも艮めは刺すから、安神《あんしん》いたして早く身魂を研ひて下されよ。モウ愚図愚図致してをる間が無いから、跡のカラスに追ひ越されんやうに致して下されよ。
 大正七年の十一月に宿替いたした悪神の大将が、今化けの皮を現はしかけて来てをるが、中々日本の人民は油断が出来ぬぞよ。これから艮の金神が悪神の正体を表はして、世界の人民に見せて与《や》るから、九分九厘までは日本も心配いたす事がまだまだ湧いて来るなれど、人民の改心さえ出来たなれば、昔の神世の経綸通りに致すから、一厘の仕組で艮めを刺して、三千世界を泰平に治めて、万劫末代動かぬ松の神代に建替えてしもふて、天地の神々の大宮を地の高天原に建てて、世界一列勇んで暮すミロクの大神の美代《みよ》と致すぞよ。
 ○
 艮の金神国常立尊が永らく世に落ちて、三千年の経綸致した事の実地が参りて、明治二十五年から変性男子の体内を借りて、三千年の現界の守護で、松の代五六七の神代に致して、天下泰平に世を治めて、国会開きを致す経綸でありたなれど、余り日本の人民の曇りが思ふたよりも激《ひど》いので、国会開きの仕組が十年ばかり延びたなれど世の立替は早く致さねば、日本も立たず世界も潰れるより仕様は無いから、脚下から始まるから、日本の人民は元の日本魂《やまとだましい》に立帰りて、艮めの折りの用意に御魂を研ひて、神国のために一身を献げる覚悟を致さぬと、今までのやうな気楽な考えを以ってをりたら、国中がアフンと致さなならぬことが出来いたすぞよ。
 【ス】と【フ】と【ヨ】との大戦ひはこれからであるぞよ。一旦は【フ】と【ヨ】の天下と成る所《とこ》まで行くなれど、ナの御魂とノの御魂の和合一致が出来て、【ス】の御魂が統一することに成るぞよ。それについては通力自在の大真人が底津巌根《そこついわね》に埋めてあるから、この者を一日も早く世に挙げて御用に使はねば、ミロクの神代は成り立たんのであるぞよ。この者は三千世界の大化物であるから、現はれたらこの地の上には、これまでのような惨酷な戦争も根を絶ち、悪い病魔も消え失せ、世界に大きい困難も無く、盗人も出来ず、天災も地変も末代起らず、誠に結構な平穏《をだやか》な神代に成るので在るぞよ。禁闕金乃神《きんかつかねのかみ》と申す勝金木神《しょうきんきしん》が世界の艮めに表はれて、三千世界の艮めを刺すのは、モウしばらくの間であるから、誠の真人は一日も早く身魂を研ひて、【ス】の御用の輔けに成るように致されよ。万劫末代名の残る結構な御用であるぞよ。今の世界の有様を見てをりては、真《しん》の人民なればヂットしてはをれよまいぞよ。これから段々と半日の間にも世界の様子が変りて来るぞよ。
  ○
 地の高天原、陸《あげ》の竜宮館に八ツの社を建てて、それぞれれに神力の在る生神を御祭り申して、今度の二度目の岩戸開きの御用を致させる経綸であれども、肝腎の御三体の御宮が出来上がらぬので、経綸が後れるので在るから、一日も早く因縁の御魂が竜宮の乙姫殿の心に立帰りて下さらぬと、後れただけは世界のことが後れて、人民が永く苦しむから、今までの小さい心を早く改めて下されよ。神の言《ことば》に二言は無いから、一言で聞く守護神人民でないと、今度の誠の御用に外れるぞよ。
 五六七の神代になるまでに、綾部の大本から、日本の内の大社大社へ、神の命令で参拝いたすことが在るが、この御用に立つ人民は身魂の研けたものから選り抜いて神が御用を申し付けるぞよ。今ではモチト身魂が研けておらぬから御用が定《き》まらんなれど、それが定まるやうになりたら、綾部の大本が世界へ天晴れ表はれて来て世界の人民が口を揃へて大本の教は昔からまだ聞いたことの無い結構な教でありたと感心いたすやうになるから、それまではこの大本の役員信者は御苦労であるぞよ。ついては変性女子の身魂と金勝兼《きんかつかね》の神の身魂に一層エライ気苦労があるから女子が何事を致しても神の経綸であるから、黙りて見ておりて下されよ。細工は流々あるから仕上げを見んと、何も判りは致さんぞよ。
 普腎菩薩《ふじんぼさつ》の身魂が美濃の国に表はれて八咫鏡《やたのかがみ》を説きをいて国替いたされたなれど、今では肉体が無くなりておるから、跡を継ぐものも無し、その流れを汲むものが尾張《おはり》にもあるなれど、肝腎の五六七の出現地が判りおらんから、世界の艮めは刺せんから、色々の所へ首を突き込むと終りには何も解らぬようになりて跡で地団太踏んでヂリヂリ舞を致しても行かむ事になるぞよ。
 この大本の教は艮めの教であるから大本の大橋を一旦渡りたものが外へ参りてなにほど結構な事を聞いても行けば行くほど道が無くなりて跡戻りばかりになるから神が気を付けてやるぞよ。今はどこの教も表面は立派であれども誠の生神の守護が無くなりて人民の智慧や学で考へた事であるから、肝心の艮めは刺せんぞよ。誰に由らずこの大本の筆先に背いて研究に行て見よれ、跡戻りばかりで一つも思ひは立たんぞよ。三千世界の艮めを刺すのは艮の金神の大本より外には世界中探しても一所《ひととこ》も無いぞよ。心の狭い腹の小さい誠の無いものは逃げて去ぬぞよと毎度申して筆先に出して在ろうがな。肝心の時になりて逃げ帰りて結構な神徳を落すものが沢山に出て来るぞよ。
 瑞の御魂は物事に移り易いと今に申して神諭《ふでさき》を取り違い致しておるものが在るが、なにほど瑞の御魂はうつり易いと申しても神界の経綸については毛筋ほども違はさんから、そんな考へでおると一も取らず二も取らず、御蔭の段になりた折には指を喰はへてアフンと致さなならぬ事になりて来るぞよ。明治二十五年からの変性男子の筆先と大正元年からの女子の申した事や書いた筆先を熟《とく》と考えて見よれ、皆その通りに成りて来ておるぞよ。まだこの後《さき》で実地が来る事も沢山にあるぞよ。
 日本の国は今が大峠に掛かりた所《とこ》であるから、守護神も人民も充分に腹帯《はらおび》を〆ておりて天地の神々を敬まひ大君を心の底から主、師、親と仰ぎ奉り、愛国心を養ふて置かぬと、天地の御先祖へ申し訳の立たぬ事が出来いたすぞよ。
  ○
 鶏津鳥《にはつとり》かけ鳴き騒ぎ立ち上がり米の餌をば食い飽きて、東の空に立ち向ふ、吾妻《あづま》の空は茜刺す日の大神の守りまし常世《とこよ》の暗《やみ》を照り返し、一度は晴るる葦原の中津御国の功績も、エベス大国《だいこく》現はれて、大土《おほづち》小土《こづち》ふり廻はし猛ひ狂ひつ日に月に進み来たるぞ恐ろしき。然《さ》れども霊主体従《ひのもと》火水《かみ》の国。三つ巴が表はれて、四つ尾の峰の弥高《いやたか》き稜威《いづ》の御魂の神力に六《むつ》のこの世を平穏《おだやか》に治むる地成《なな》の年よりも、天に登りて稚日女《わかひめ》の神の神言《みこと》の弥尊《いやたか》く、九つ花の咲き匂ふ高天原の神屋敷。十方世界の艮めを刺して塵《ちり》や埃《あくた》をサルの年、万代《よろずよ》朽ちぬ美《うる》はしき、高き誉れをトリ年の、世の根の神は丑艮に光りかがやく目出度さよ。二十二人の生御魂《いくみたま》、天地の神の宮殿の幹の柱《あしら》と鳴戸海《なるとうみ》、渦巻き来たる国津神。国の礎千代八千代、動かぬ神代《みよ》ぞ楽もしき。
  ○
 二つの入《にう》の入りかけたこの品物を方々から、我《われ》の自由にせむものと、神の敏《さかし》き目も顧みず、エベス大国《だいこく》大盗梁《だいとうりよう》、仏《ほとけ》さんまで捻鉢巻《ねぢはちまき》の大車輪、九分にイタりて逃げ出せば、西の御寺の和尚までこの場を引くとの権幕《けんまく》に、コリヤ惨酷じゃ堂《どう》しようと、エベスと仏《ほとけ》が一思案、一時和尚の言前《いひまへ》を立ててやろかいまた跡は跡の考え合点か合点々々と額体《うなづき》合ひチント談《はなし》は済んだなれど葉マキの煙草の一服休み、舞台換はれば大平の、夢を醒ました海若《うなわか》の、その驚ろきや如何《いか》ばかり、トントン拍子の悪神も、鯨《くぢら》に鯱《しやち》の戦いに果敢《はか》なき最後を酉《とり》の年、猛悪無道の獅子王も身中《みうち》の小さき虫に仆《たふ》さるる、昔のたとえも目のあたり、日の出の神の国の柱《あしら》は永遠《とこしえ》に、四方《よも》の国々言《こと》向けて、名も高砂《たかさご》の千代の松、松の緑りの色深く神の恵《めぐみ》を仰ぐなり。
「神霊界」大正八年五月十五日号