出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
神霊界 全9巻(復刻)1986.07邪禅語 参照文献検索
キーワード: その他
備考: 45号 1巻 P.117
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本文    文字数=9639

邪禅語
 ○
 日頃心安い新派歌人某がやって来た。暫く話をしていたが、不図主人の顔を見上げて、
「あなたは毎日算盤を弾く手で、画を描き文章を作り、時には宗教を語り、時には株の高低を談じ、芸術を説き女性を論じ、或は人生観・社会観に説き及ぼし、嘗ては情歌や川柳の宗匠をやって居られた事もあるかと思えば、近頃はまた劇評や俳論にまでも筆を染められる。あなたの多能多才には実に驚嘆敬服の至りですが、然し私等の考えます所では、あなたが其の各方面に用いられる才能をば一つ所に用いられたならば、更に一層の効果がありはしないかと思われます。あなたの頭脳と才能とを以て商売なら商売、文学なら文学、画なら画と何かを一つ専門にやられたならば、それこそ実に大変なものが出来ましょう。それに引きかえ、私等などは唯一つの事にさえ心身を奪われて、それも何時迄経っても上達せず、へぼの儘で終わっているのは、実に我ながらお恥ずかしい次第です。本業の方だけに逐われて仕舞って、何一っ研究する余裕もないと云うような始末です。どうすればあなたの様に、そう余裕が出来るのでしょう」
「あなたは本業に逐われて余裕が無い、余裕が無いと言われるが、然し私から見れば、あなたこそ真に余裕のある人のように思われます。第一私はあなたの様に、人に忠告や意見をするような余裕が無いのですからなあ」
 此の余裕の無い新派歌人は、憤然として席を蹶立てて去って了った。

  ○
 天理教の教職連が四、五人やって来て、盛んに手前みそを並ベ立てるので、主人も少し癪に障り、うんと彼等を罵倒してやると、
「あなたは人間を十等位に階級を付けて、我々共を其の六、七等位のものに見ていますね」
主人はニヤリとして、
「それでは皆さん一遍立って並んで御覧、何頭だが数えて見ますから……」
教職連はブリブリしながら、一同起って並んで出て行って了った。

  〇
 若手の腕利きとか評判のある、某新聞の三面記者が訪ねて来た。話が例の八千代・楯彦の結婚関係に移ると、記者先生盛んに誤迷論を連発した上、突如として主人にこう質間した。
「あなたは或新聞には『イリュージョンの潰滅』と云う題で、両人の結婚に対して失望の意を漏らされたかと思うと、また他の新聞では『八千代と楯彦』と題して、暗に二人の結婚を讃美せられていますが、何だか矛盾の様じゃありませんか。全体どちらが本当なのです」
 主人対えて日く、
「人間のからだから出るものは、タンにしろ糞にしろ、皆ロクな劉のはない養丶然しそれでも鶏はタンをつつき犬は糞をなめる。どちらでもお気に召した方にして下されば結構です」
「ははははは、然し時にあの結婚は、何時やるのでしょうな。我が社も其の期日を探訪しているのですが、何分写真版などの都合もありますから、一刻も早く知りたいのです。どうかして分からぬものでしょうかなあ」
「なあに君、探訪なんぞしないでも、そんな事位じきに分かるじゃないか」
「ええ、分かっていますか」と記者先生は甚だ猛烈に膝を詰め寄せる。
「分かってるとも君!何でもないさ」
「そそそれは、一体何日です?」
「年越しの晩さ。考えても見給え、芸妓が丸髻に結うのじゃないか㌧
記者先生は唖然として、暫くは何もよう言わず、主人の顔をポカンと見詰めている。

  ○
 関西俳壇の驍将と、よし人は許さずとも、自分だけでは夙に任じている某俳人が、一大事でも出来たが如く、忙しく駆け込んで来た。芝居ならば「御注進々々々」と、花道の七三でへたばるのであるが、俳人だけに落ち付いたもので、茶をすすり菓子を頬張り乍ら、然し急き込んだ調子で主人に語り出した。
「僕は今大変な事実を発見して来たよ。外じゃないがね、つい今散歩に出た序に柳屋へ寄って見ると、子規居士自筆の短冊が出ているのだ。値段を見ると一円五十銭としてある。すると、其の傍らに又僕の短冊も出ているから、幾何に付けてあるだろうとソッと窺いて見ると、君、二十五銭としてあるじゃないか。子規居士の短冊が一円五十銭もあるのに、僕のがたった二十五銭ではあまり懸隔が甚だしいから、こいつは何かの間違いじゃないかと思って、柳屋の老爺に『君、此の短冊は一円二十五銭じゃないか』と訊ねると、老爺の奴変な顔をしやがって『いえどうしまして、唯の二十五銭で御座います』と吐かしゃがる。僕は其の時ほんとに老爺の横面を殴り倒したくなったよ。
 すると又老爺め、こんな事を云いやがる。『○○さん(此の男の名前)の短冊は、手前共の方も二、三十枚持って居りますが、一向に売れません。然し妙な事には此の月になってから、若い御婦人のお方が三人も○○さんの短冊を買ってお出でになりました。これは大方値段が安いからだろうと思いますが……』とさ。此の老爺奴よくよく僕をむかつかせる様に出来ている奴だなとは思ったが、じっと腹の虫をこらえて黙って出て来たのさ。然しねえ君、僕の句がそうした若い女に受けると云うのは一体どう云う理由だろうねえ」
最初の憤激口調は何処へやら、何だかあごでも撫で廻し相な塩梅なので、一通りの者なら一寸あてられる所であるが、流石は主人、悠然と答えて言う。
「それは大方君許の下女が、君の細君の言い付けで買いに行ったのだろうよ。君の細君は中々賢夫人さ。自分の画に法外な値段を付けて置いて、自分が金を出して蔭から人にそっと買わせるのは、文展なんかでもよくある奴さ。柳屋には君の短冊が二、三十枚あると云うから、一つ奮発して君の細君や妹.妹の友達ないしは親類の女連・下女の朋輩まで狩り集めて、柳屋へ買わしにやったらどうだ。一枚二十五銭としたところが、たった五、六円の散財だ。そうすれば『僕の句が女にもてるのは、どう云う理由だろうねえ』なんて事は言わなくなるよ」

  ○
 髪の毛を長く延ばした華奢な手の持ち主は、在京都の青年洋画家某君である。主人とは之が初対面であるが、某君の気焔はなかなか惨まじい。
「元来芸術は人生の記録でありまして、人生の真実に触れたものでなければ、之を芸術と呼ぶ事は出来ません。ですから古来の大芸術家の作品には孰れも皆人生の輝きが認められます。ミレエにしろ、セザンヌにしろ、ゴツホにしろ、又近頃喧しいロダンにしろ、彼等が大画家としての不朽の生命を有っているのは、実に当然の事であります」
 左甚五郎の描いた名画とか云うのが、何処かにあるそうだ。ロダン翁が大画家であると云う事を始めて知った主人は、徐に口を開いて、
「君、そんな事を言ってる暇があるのなら、もっと商売に勉強して、せっせと得意廻りでもして、ビラ画の一枚でも描かして貰ったらどうだね」
此の一言は、甚だしく此の大芸術家の卵を侮辱したものと思ったか、卵君は物をも言わず、襖も開け放した儘で帰って仕舞った。

  ○
 顔色憔悴・形容枯槁、沢畔に行吟した屈原も、斯くやと思われるばかりの薄気味の悪い男が入って来た。落ち窪んだ眼でジロジロと主人の顔を眺めながら、
「私は今度或事情の為に、世の中が厭になりましたので、翻然として宗教的生涯に入り、宗教家になるつもりです」
「ああそうですか、して其の世の中が厭になられた事情と云うのは」
「実はお恥ずかしい話ですが、失恋の結果です」
「それは大変なお考え違いですな。宗教とはつまり人を惚れさす事です。人を惚れさす事が出来なければ、宗教家にはなれませんぞ。それを高が女一人をほれさす事が出来ない様でいて、宗教家になろうなどとは以っての外の心得違い。あなたは宗教家になる第一歩として、先ず其の女からほれさす様にしなければいけません」
主人の辞色が少し激しかったので、此の今屈原先生は宛ら喪家の犬の如く、塁々乎として、頭を垂れ背を低くして、出て行って仕舞った。
(「神霊界」大正六年三月号)