出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 吾子の死 | | 参照文献検索 |
キーワード: その他 |
備考: 玉鏡 八幡-P.199 天声-P.219 昭09-01 |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=1063
永年大本の信仰をしてゐる信者の子供が、一年の中に二人まで国替をしたにつき、何か神様に御無礼があつて、お咎めを蒙つて居るのではあるまいかと、たづねて来たものがあるが、決してさうではない。
元来霊界に生るるものは、どうしても一度現界に生れて来なければならない。これが神定の手続きである。神命によつて現界に生れ、神命によつて霊界に入る。霊体不二、生死一如の真諦が分つて居れば少しも歎くに足らないのである。生れて来たものは手続きを了して霊界に入り、神命のまにまに御用をなし、生みて育てたものは、その事によつて神業奉仕をした事になる。子供を死なした事によつて信仰がぐらつくやうな人には、こんな神業奉仕は苦痛であらうが、徹底すればこれも結構な御用である。お咎めをうけるどころではない。王仁も三人まで子供を失つて居る。