出口王仁三郎 文献検索
リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/genshow.php?CD=11256&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=
原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 死獅子と生鼠 | | 参照文献検索 |
キーワード: その他 |
備考: 玉鏡 八幡-P.198 天声-P.122 昭08-11 |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=1417
死んだ獅子よりも生きた鼠の方がどの位働きがあるか分らぬ。百獣の王と雖も死んでは何の力をも持ち得ない。小さい鼠でも生きて居るものは、どんな働きをするか分らぬ。世人はこの道理を考へないから駄目である。此世に於ては生きた人間位尊いものは無い。神様は生きた人間を以て其経綸を実行しようとして居られるので、死んだ人を使はうとはして居られない。我大本に於ても開祖様は偉いお方に相違ないが、今は生きて居る王仁の方が働きがあるのである。王仁が帰幽すれば、後を継ぐ日出麿の方が王仁よりも働きがある道理である。
総て生きて居るものでなくては働きが出来ないでは無いか。それだのに開祖様が生前から仰有つてゐらつしやつたから、さうせなくてはならぬと云うて、王仁の云ふ事を用ひぬ頑迷固陋の役員があつた為めに、どの位神業の妨害となつて居るか分らない。世は時々刻々に進展して行く。それに適応して進んで行くのでなかつたら、進歩も向上も発展も無い事になる。故に神様は其時代をリードすべく、適当なる人をこの世に降して、其経綸を遂行したまふのである。此の道理をよく悟らねばならぬ。