出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 波 | | 参照文献検索 |
キーワード: 文明論 |
備考: 玉鏡 八幡-P.386 天声-P.45 昭07-08 |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=852
波は水の表面だけの動揺であつて、狂乱怒涛の荒び立つ時でも下の方は静かなものである。故に水の皮と書いて波とよむのである。今の世の有様を見て居ると狂ひ立つ波のやうなものである、文明も波の文明である。少しも深い底の心に触れて居ないのである。波浪に乗つて立ち騒いで居るのが今の識者と云ふものである。政治も芸術も教育も皆波の政治であり、波の芸術であり、波の文化である。近頃王仁に出廬を促す人も少くないが、王仁は波浪上の舞踏はいやである。誰かの歌に
底ひなき淵やはさわぐ山川の
浅き瀬にこそ仇浪は立て
と云ふのがあるねえ。現代人に望むらくは総ての事に深味があつて欲しい。