出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 無我の境 | | 参照文献検索 |
キーワード: 鎮魂帰神 |
備考: 玉鏡 八幡-P.196 天声-P.66 昭07-01 |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=843
真の無我の境といふのは人間としてあるものではない。無我の様な感じを起すことはある。それは或る事業に没頭して、それに一生懸命になつて居れば、他の仕事に対しては無我の境に入ることになる。併し夢中になつて居る其仕事に対しては、決して無我ではない。精神統一といふが、これ又言ふべくして出来得べきことではない。祝詞を奏上しながらも種々なことを思ひ浮ぶるのが本当である。鎮魂といふのは「離遊の運魂を招いて身体の中府に鎮める」ことであるから、種々の雑念が集まり来るが当然である。その雑念は罪障に対する回想や希望となつて現はれて来るもので、それを想ふのは、別に悪い事ではない。