出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/genshow.php?CD=11048&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=

原著名出版年月表題作者その他
神の国 新年勅題に就て 参照文献検索
キーワード: その他
備考: 玉鏡 八幡-P.70 天声-P.174 昭07-01
ルビ付き本文:
王仁三郎資料センター
 
本文    文字数=2338

   暁
 アカツキの【ツ】は助辞である。あたかも天津神の津と云ふやうなものである。【キ】は気である。【アカ】は明けと同じで【ケ】と【カ】は恰も酒を【サカ】と云ふ様に同意味である。即ちアカツキと云ふのは陽気が今明くなりかけて居る事である。アカツキはよい意味に用ひる。成功した暁とは云ふが失敗した暁とは云はない。
   鶏
 トリは言霊から云うと、【ス】である。ホトトギ【ス】、ウグヒ【ス】、【ス】ズメ、カラ【ス】と云ふやうなものである。ウグヒ【ス】の事をウグヒドリとは云はない。なほスズメ、ツバメの【メ】と云ふのは、メ即ち女の意味故、やさしいことを云ひ現はしてゐる。
   声
 コエは「心の柄」と云ふ事である。心だけでは表現出来ないので柄がいる。ココロの魂反しは【コ】である。物質から出て来るのは声でなく音である。声と音とは違ふ。アイウエオは声であり、有にして無、無にして有なる天の声である。
 音は「緒止」と云ふ事であり、魂の緒の止る意味である。音をきいてハツと心を止める、それが緒止即ち音である。
 カキクケコは音である。カンカン、キンキンと云ふやうな音である。
 サシスセソも音である。風にゆれる笹のササササといふ音のやうなものである。タチツテトも音である。三味線のツンテントンと云ふやうなものである。
 ナニヌネノは声であり、ハヒフへホは無形の声で、声と音の中間のもので、風のやうなものである。マミムメモ、ヤイユエヨは声であり、ラリルレロは音である。ガラガラ、ゴロゴロ、ギリギリ、バラバラと云ふやうに、語尾につく濁音である。ワヰウヱヲは声である。
 又、ア行は天の声であり、ワ行は地の声であり、ヤ行は人の声である。吃驚した時は思はず「アワヤ」と云ふのは、天地人皆吃驚したと云ふ意で、太閤記十段目の「アワヤと見やる表口云々」とある如き例である。