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原著名出版年月表題作者その他
神の国 十ケ月暦 参照文献検索
キーワード: その他
備考: 玉鏡 八幡-P.394 天声-P.250 昭06-09
ルビ付き本文:
王仁三郎資料センター
 
本文    文字数=4219

 来る十月(昭和六年)ゼネバに於て開催される国際連盟に提出すべき改暦案問題については、我国に於ても後れ馳せに余程議論が沸騰して来たやうである。王仁はこの改暦についてはとうから一つの案をもつて居るので、明治三十一年に其大意は既に発表して置いた。国際連盟が持つ三案中、第一、第二は十二ケ月案にして、第三案は十三ケ月案であるが、王仁のは全然これ等と異なる十ケ月案である。先づ一ケ月を三十五日と定める。之を週に割り当てると五週となる。第三案の如く之で曜日は永遠に確定する訳である。
 神の道から云ふと、三五即ちあななひ教に因縁をもつ。三五教は天地惟神の大道である。三十六日目は、ミロクの教であるから、此日は週に加へず祭日とする。隔月に三十七日目をもつ訳であるが、其日は閑日と称して言論自由の日とする。恰も霊界物語中にある笑ひの座の如く、其日は如何なる人が如何なる言論をなすとも自由であつて、何等の制裁をも受けない事にする。
 四年毎に一日の閏日をもつが、それは一年の終りに加ふる事にする。そして節分の翌日即ち立春の日を一月元旦とするのである。祭日は一月を第一祭日、二月を第二祭日と云ふが如く順次に称ふ。閑日も第一閑日、第二閑日と順に称ふるのである。十ケ月に分けるのは十は数の上に於ても形の上に於ても神の象徴であり、緯度と経度の関係からみても十字形である。キリスト教は十字架、仏教は卍であつて十字に皆因縁をもつて居る。
 十三ケ月案は恐らく大多数をもつて確定案となるであらう。そして世界は挙つて一度は此暦法による事となるであらうが、之は長くは続かぬで、やがて神示の王仁の案即ちこの十ケ月暦となるのに定まつて居る。彼の有名なる童謡、
「お月さんなんぼ十三七つ、そりやまだ若いな、お雲にかくれていにたいばかり、いにたけりやお帰り、帰りのみちに油一升こぼして、白絽の犬と黒絽の犬がさつぱりねぶつた。その犬どうした、太鼓の皮に張つた、その太鼓どうした、あちらの宮でもドンドンドン、こちらの宮でもドンドンドン」
と云ふのがあるが、これがこの改暦案の予言なのである。【お月さんなんぼ十三七つ】と云ふのは第三案が十三ケ月案で、しかも七日たる週を基として出来て居ると云ふ事なのである。
 【そりやまだ若いな】と云ふのは、それはまだ考へが若いと云ふので幼稚な案であると云ふ事である。
 【お雲にかくれていにたいばかり】と云ふのは、かういふ案は撤回して欲しいと云ふのである。
 【いにたけりやお帰り、帰りのみちに油一升こぼして、白絽の犬と黒絽の犬がさつぱりねぶつた】と云ふのは、撤回すべきものは撤回したがよいが、油をこぼして、さつぱり改暦は明を失つて暗雲となつて仕舞ひ、白色人種も有色人種も即ち世界中の人が五里霧中に彷徨するやうな有様になると云ふ事である。【その犬どうした】と云ふのは、それから世界の人達がどうなつたかと云ふので、【太鼓の皮に張つた】と云ふのが、太鼓は月の形即ち三五十五夜の姿であつて、我大本の十ケ月暦、一ケ月三十五日案の出現となると云ふ意なのである。
 【あちらの宮でもドンドンドン、こちらの宮でもドンドンドン】と云ふのは、ドンは十と云ふので十々々で、最後にはあちこち即ち世界中がこの暦を使ふやうになると云ふ謎なのである。
 あれだけ伝統的に十三の数を嫌ふ欧米人が、十三ケ月案に賛成するといふのも面白い現象ではないか。