出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 御玉串について | | 参照文献検索 |
キーワード: その他 |
備考: 玉鏡 八幡-P.256 天声-P.271 昭06-06 |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=1227
御玉串を差上げるに上書を連名でする事は神様に御無礼に当る。一人一人包んで丁寧にちやんと名を書いて差上ぐべきもので、神様は非礼をうけ給はぬ。金銭の多少に関はるのではない。唯自分の赤心を捧ぐればよいのである。長者の万燈貧者の一燈と云ふ諺がある。人各身分相応に其ベストを盡すべきものである。一円づつ出し合して包むなど云ふ事は、其の想念が既に正しくない。相談などすれば、いやでも出さねばならぬと云ふ不純な気持が混じて居るから、神様は決してお受けにならない。又実意、丁寧、誠、親切、これが神の教であるから、連名など云ふ事は、丁寧と云ふ事に於て欠けて居る。これ又神様のお気に召さぬのである。本宮山のお宮を建てた時でも、不純な想念の混じて居たお宮は取りこぼたれても、栗原さんが純な気持で一人で建てさして頂いた神饌所と燈篭とだけは残されたではないか。神様は搾取や強奪は決してなさらぬ。総て神様に捧ぐるものは純な気持でなくてはならぬ。