出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 易 | | 参照文献検索 |
キーワード: その他 |
備考: 月鏡 八幡-P.272 天声-P.110 昭05-01 |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=874
孔子の教は現世的のものであるが、晩年に至りて孔子自身も甚だ物足りなくなつて、天に問ふやうになつた。周易即ちこれである。孔子が易によりて方針を定める様になつた事は、即ち宗教心が出来たので、周易をこしらへた事に依つて、孔子の名は残つたのであつて、之なかりせば孔子といふものは残つては居まい。
天津金木は七十五声の運用であり、天津菅曽は七十五本を運用して天意を伺ふのである。易は五十本の中一本をぬき四十九本の運用であつて二十六本だけ足らぬ訳である。但し、金木にしろ周易にしろ過渡時代の物で神代の遺物としてのみ価値あるものである。今は皆肉の宮に納まつて居るから、その必要はないのである。