出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 有難き現界 | | 参照文献検索 |
キーワード: 永遠の生命 |
備考: 月鏡 八幡-P.189 天声-P.88 - |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=1497
私は五六度死んだ事があるが、生きかへつてから後も二週間位はひどく疲労れたものである。元来生の執着は神様より与へられたものであつて、結構な事である。三十才の生命を神様より与へられて居る人が十五才にして自殺したとすると、十五年の間霊は迷うて居るのである。しかのみならず霊界へ行けば総てが定まつて仕舞ふから、人は現界にある内に十分働かして貰はねばならぬ。人生の目的は地上に天国をひらく為であるから、魂を汚がさんやうにすることが一番大切な事である。刀身がゆがむと元のさやに納まらないごとく、魂が汚がれゆがむと元の天国にはをさまらぬ。人間に取つて一番大切な事は何といつても生きて居る中に死後の存在を確めておく事である。死後の世界が分ると五倫五常が自然に行へる。倫常を破ると云ふ事は自分の損になる事がハツキリ分るからである。人間は死後の世界を研究してから仕事をするがよい。私は人生問題になやんで或時は爆弾を抱いて死んでやろうかとさへ思つた事がある。神様の御恵みによつて何も彼も知らして頂いて歓喜に満ちた生活に入る事が出来たのであるが、当時の悩み悶へ、苦しみ、幾度か死を考へた事ほどそれが痛切であつたのである。