出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 懺悔 | | 参照文献検索 |
キーワード: 生きがい |
備考: 月鏡 八幡-P.177 天声-P.41 昭04-02 |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=1239
懺悔すれば罪が消えるというて、既成宗教では懺悔を以て教の眼目として居る。又二燈園とか三燈園とかでは、懺悔の生活を標語として居るやうであるが、人前に懺悔する時は却つて罪を造るものである。何となれば、人は神の分霊分身であるから、自分の恥を人の前に曝露するは神を辱かしむるものであつて、真の神様には喜ばれないのである。但し神様の前に懺悔することはよいが、牧師や僧侶や人の前で自分の非事非行を曝すと云ふことは、最も慎むべき事である。総て何事でも、流水の如く絶えず流れ去つて日々に新たなものであるから、既に過ぎ去つた事を又新たに現在に持ち出す事は、宇宙の真理に逆行するものである。況んや信仰境涯にある人は、日々祓ひ給へ清め給へと願つて、過去の罪悪は一切消えて居るのであるから、懺悔の要なきは勿論である。又他人の非行旧悪を摘発非難してはならぬ。人は只刹那刹那に最善を盡して居ればよいのである。取越苦労過越苦労のいけないのは此の為である。