出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 犠牲 | | 参照文献検索 |
キーワード: 生きがい |
備考: 月鏡 八幡-P.25 天声-P.39 昭04-02 |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=780
既成宗教は、犠牲と云ふことを推奨して最高の道義的行為なりとして居るが、犠牲即ちイケニヘなるものは、実は正しい事では無いのである。身を殺して仁を成すなど、己れを捨てて人を助くる事は実際出来得るものではない。教育勅語に、恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼすと宣らせられ給うてゐる如く、人は神の子、神の生宮で、言ひ換ゆれば人は神であるから、神を敬ふ如く人を敬ひ、又己れを敬ふのが本当である。自分を全ふせずして人を助くる事は出来ないではないか。神であつても、犠牲を喜ぶやうな神は正しい神では無い。日本の神様は決して犠牲を喜ばれない。