出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 謝恩と犠牲心 | | 参照文献検索 |
キーワード: 愛について |
備考: 月鏡 八幡-P.176 天声-P.25 昭03-11 |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=1068
自分は自分の為に生れ、自分自身のために存在するのだ、報恩謝徳などとは以ての外だ、と威張つた事を言ふものが多くなつて来た様だが、是等は実に幼稚な思想であつて、少しく考へて見れば直ぐに解る事である。吾人の今日此処に存在し得るのは、神様と祖先の賜である、又日本の存在するのも日本の祖先の神々の賜である。日本神道は総て祖先崇拝の教であるが是は如何なる知識階級でも柾げる事の出来ぬ真理を含んでゐる。謝恩の念があつて始めて犠牲心が起り没我心が起るのだ。動物でさへも恩を知るではないか、西洋の社会学者でさへ犠牲と没我心、この二つが無ければ社会は進化しないと言つてゐる。自分を犠牲にすること、自己を没却すること、此二つのものは神道の教義の教ふる所であつて、親が子を愛し子が親に孝を盡すのは、人間自然惟神の慣性であり常道である。