出口王仁三郎 文献検索
リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/genshow.php?CD=10440&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=
原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
神の国 | | 火の洗礼と水の洗礼 | | 参照文献検索 |
キーワード: その他 |
備考: 水鏡 八幡-P.42 天声-P.17 大14-08 |
ルビ付き本文: 王仁三郎資料センター |
本文 文字数=1051
火をもつて、パプテスマを行ふと云ふ事は、人間を霊的に救済すると云ふ事である。これ大乗の教であつて、今迄の誤れる総てのものを焼き盡し、真の教を布かれる事である。水をもつてパプテスマを行ふと云ふ事は、人間を体的に救済する事である。
火は霊であり、水は体である。
瑞霊の教は永遠の生命の為め欠くべからざるの教であつて、厳霊の教は人生に欠くべからざるの教である。
厳霊の教は、道義的であり、体的であり、現在的である。
瑞霊の教は道義を超越して、愛のために愛し、真の為めに真をなす絶対境である。所謂三宝に帰依し奉る心である。火の洗礼と、水の洗礼とは、それ程の差異があるのである。某地の大火災を目して、火の洗礼だと人は云ふけれど、それは違ふ、水の洗礼である、如何となれば、それは体的のものであるから。