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原著名出版年月表題作者その他
神の国 火の洗礼と水の洗礼 参照文献検索
キーワード: その他
備考: 水鏡 八幡-P.42 天声-P.17 大14-08
ルビ付き本文:
王仁三郎資料センター
 
本文    文字数=1051

 火をもつて、パプテスマを行ふと云ふ事は、人間を霊的に救済すると云ふ事である。これ大乗の教であつて、今迄の誤れる総てのものを焼き盡し、真の教を布かれる事である。水をもつてパプテスマを行ふと云ふ事は、人間を体的に救済する事である。
 火は霊であり、水は体である。
 瑞霊の教は永遠の生命の為め欠くべからざるの教であつて、厳霊の教は人生に欠くべからざるの教である。
 厳霊の教は、道義的であり、体的であり、現在的である。
 瑞霊の教は道義を超越して、愛のために愛し、真の為めに真をなす絶対境である。所謂三宝に帰依し奉る心である。火の洗礼と、水の洗礼とは、それ程の差異があるのである。某地の大火災を目して、火の洗礼だと人は云ふけれど、それは違ふ、水の洗礼である、如何となれば、それは体的のものであるから。