出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
神の国 智恵証覚 参照文献検索
キーワード: 智恵証覚
備考: 全集(5) P.558 瑞言祥語 「[問]智恵証覚とはどういふもので御座いますか。
 
本文    文字数=1624

智慧と証覚
〔問〕智慧証覚とは、どういふもので御座いますか。
〔答〕智慧は人が生れ乍らにして神様から与へられたもので、即ち先天的、内分的、神的である。それで学問がなくても智慧はある。学問があつても智慧の働きのないものもある、外分的後天的の学問その他で出来たものは知識であつて智慧とは違ふ、仏教等でいふ善知識といふのは外分的の記憶的知識で、真の心の救ひとなるものではない。智慧の智とは日を知る(ヒジリ)、霊を知る、神を知るといふ事であつて、慧とは天と地との主の神に従ふ心である、
 証覚とは覚りあかす、あかしを以て神を覚るといふ事である、日の昇り工合で大抵今は二時頃だといふのも覚りであるが、時計を見て何時何十分何十秒だっと覚る事が出来るやうに、あかしを以て宇宙の真理に徹する事が出来るのが証覚である。霊界物語でたとへたならば、之を出されるのは智慧からであつて、之のあらはれ即ち口述してつけとめられたものは証覚なのである。故に霊界物語は智慧証覚を得る唯一のものである。真善美愛は其証覚より顕はれ出づるものである。それで証覚は理解ともいへる。智慧は本体の様なもので、証覚は働きの様にもなる。仏の云ふ無上正覚とは正しく覚るの意にて、証覚とは違ふのである。
(大正十四年一月号 神の国誌)