出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
昭和青年 | | 天守閣の由来 | | 参照文献検索 |
キーワード: 織田信長 |
備考: 全集(5) P.557 瑞言祥語 「或る日、出口王仁三郎師は長田氏に向って、 |
本文 文字数=758
天主閣の由来
或る日、出口王仁三郎師は長田氏に向つて、
『織田信長が近江の安土の城を築いてゐた頃、日本ヘキリシタン・バテレンが渡つて来てゐた。
その頃では織田信長は、非常にモダンな男で、新らしがりやであつたので、キリシタン・バテレンを崇拝してゐた。そこで信長は城の一番上の建物に、キリシタン・バテレンの神様であるゴツドを祭つてゐた。そのゴツドの事をそのころ日本名では天主といつてゐた。天主を祭つてゐる建物といふので天主閣といふのである』
と説明した。
(昭和七・八・一五 同七年八月号 昭和青年誌)