出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
東京日日新聞 昭和10年12月9日【附録】p2(2) 参照文献検索
キーワード: 二次事件
 
本文    文字数=10271

大本教の別働隊
昭和神聖会の正体
全国的の細胞組織
【大阪発】問題の昭和神聖会は「国民天賦の使命達成を期す」との美名の下に昭和九年七月出口王仁三郎氏が会長となつて創立されたもので総本部を東京に、地方本部を全国各主要都市に設けてゐる、同会会則によると会の目的達成のため総裁府、統監府を置き総裁府は会の枢機に参画、総裁及び副総裁と理事数名がこれを統制し、また統監府は会の目的、会務執行の機関で統監及び副統監二名、評議員数名から成つてゐる、地方には本部のほかこれに従事する諸支部があり、細胞組織が全国に拡がつてをり、しかも会の経費は信者または篤志家の寄付金によつて賄はれ別働隊として勢力をなしてゐる
放置できぬ不敬の言動
京都府警察部発表
【京都発】京都府警察部では八日午前九時廿分鈴木知事から左の如く発表した
京都府綾部町に本部を有する大本教におゐて不敬の言動あるやの疑ひあり、かねて注意中のところこれを放置するにおゐては公安上憂慮すべきものあるを認め十二月八日京都府警察部におゐて京都地方裁判所検事局と打合せの上警視庁並に島根県警察部と協力して関係個所の家宅捜査をなすと共に出口王仁三郎以下約卅名の関係者を検挙せり
殊勲
大検挙までの苦心
当局・秘密を死守す
薄田警察部長と杭迫特高課長
【京都発】不敬事件を起こして八日未明松江で検挙された大本教教主出口王仁三郎氏(65)は大正十年の不敬事件で禁錮五ケ年に処せられ大幹部浅野和三郎、吉田助定等と控訴中大正天皇崩御の大赦によつて自由の身となつたが、その後蒙古に渡つて各旗[地]の王に会見し紅文字[卍字]教と手を握る等宣伝大いに努め帰朝以来積極的に印刷物や各種の団体結成に力を注ぎ少しも改悛の情認められず、最近におゐては各地の建築物の復興再建など漸次教団が旧態に復しつつあるので、数年前から京都府特高課の目が光り、昨年十一月今回の検挙の采配を振つた杭迫特高課長着任の際には前任者利根特高課長から特に監視の必要を受ついで爾来一年有余、特高課思想第二係長高橋警部が主任となつて不敬事件の摘発につき内偵が進められ遂に確証を掴んで今回の大検挙を見るに至つたもので、この間における杭迫特高課長ならびに薄田警察部長が検挙の準備工作を大本教ならびに外部に漏らすまいとする苦心は並大抵ではなくいよいよ検挙の行はれるといふ七日深夜に至つても事実を知る者は薄田部長、杭迫課長、奥永捜査次席ならびに高橋警部の四名に過ぎず、市内及び府下の各署長も非常召集が行はれて選抜の特別検索隊がいよいよ出発間際の八日午前零時に至つて初めて薄田部長より話を聞ゐたのであつた
丁度この両三日は税務疑惑が滞貨生糸の処分に絡まる大贈収賄事件に発展し世人の目が悉くこれに向けられてをり一方非常召集も歳末警戒にカムフラージユ出来る絶好のチヤンスでこの機を捕へて、巧みに事を運び遂に大検挙を敢行したもので薄田警察部長と杭迫特高課長の功労は大きい
内務省と打合せ
合言葉で秘電
当局の検挙苦心は別項の如く並大抵のものではなく、本年春京都府警察部が内偵を進め、内務省の指揮を仰ぎ、唐沢警保局長、相川保安課長が総指令となり、司法省の協力を得て八日早暁の大検挙となつたもので、その間当局の苦心努力は実に涙ぐましいかぎりで、内務省、警視庁、司法省でも幹部三、四人を除ゐて事件の真相を知る者はなかつたといふ、しかも京都府警察部と警視庁との頻々たる電話は勿論、この事件に関する通話はすべて合言葉を用ひてゐた
豪奢な長生殿
五十万円で建築
【京都発】綾部の大本教本部は大正十年神殿が神宮建築を模したもので不敬にわたるとの理由で京都府から取毀しを命ぜられ同年十月廿七日取毀しを敢行して以来そのままになつてゐたが、近来大本教に対する世間の邪教的認識が漸く薄らいだので此時とばかり王仁三郎教主は再建を計画し去る十月廿五日に執行された秋季大祭第一日に昔の神殿を長生殿と改称して再建することを発表し、その礎石祭を執行したこの長生殿は全国各地から集めた五十万円の基本金で建立するもので現に台湾から取寄せた杉材で建築中である
新潟の検挙
【新潟発】号外所報、新潟市上大川前通五番町小甚旅館に宿泊中検挙された本部総務教務部長、昭和神聖会参事井上留五郎氏(62)同党務補国防部長神本泰昭氏(42)は
六日夕刻来港、七日午後二時から昭和神聖会新潟支部事務所で小甚旅館で信徒数十名を集めて講演会を開き同夜九時から西大畑町皇道大本新潟分所で地方大会を開催、中下越から参集した各支部幹部卅余名と約二時間に亘り本部との連絡融和等につき協議を遂げたものである
浦和で検挙された米倉氏
【浦和発】八日午前七時警視庁の手配により埼玉県特高課員に連行された浦和市常盤町米倉範治氏(60)は国学院の出身で現在王子化工製紙会社工場長で東京在住当時大本教中野分院幹事をしてゐた、妻女とみえさん(56)は語る
去月十五日王子から浦和へ移転すると同時に中野分院の幹事その他の役員一切をやめて一信者となりました、大本教信仰しはじめてもう十数年になります、八日早朝警察の方が見えて突然連行されましたが事情ははつきりわかりません
まさに台風一過
ガラン洞の本部
三間おきに警官の垣
【京都発】綾部へ自動車を走らせる途中京都を出て僅に乙訓郡大枝村近くで警官隊のため前進を阻まれた記者は八日朝一番列車で綾部町に到着、十重廿重に物々しく取巻ゐてゐる警戒陣を突破して大検索後の皇道大本本部へいの一番に乗り込んだ、参道入口には警官四、五十名が一団となつて憩つてゐる、受付から右に折れると参道には今なほ三間置きくらゐに警官が配置されて厳重に見張つてゐる、百余の信者を缶詰にしてゐるといふ祖霊殿の前に抜け出たがここにも警官隊が張番してゐて外来者は一歩も踏み入れさせない、石段を登つて本部に来ると大建築の前に立つてゐた四、五名の警官がうさん臭さうな顔をして睨みつけるが委細構はず靴をぬいで上つてみると五百畳敷きもあらうと思はれる大広間には机が四、五脚散らばつてゐるだけで人影もなく、「朝礼五時半、夕拝五時」の貼紙が淋しく畳の上に落ちてゐた、大広間の奥にある弥勒殿横の宿直室は宿直の人だけがぐつすり寝込んでゐるところを襲はれたらしく蒲団や枕があちらこちらに散乱してゐる、弥勒殿の中を通り抜けて玉霊殿前に出たが中は真つ暗闇、入口には相も変らず警官隊が見張つてゐるので引返し出口教主邸前に来たがここでも警官隊にせかれて危うく検束されさうな気配にやむなく引上げた
信徒の動揺を最も警戒
工藤島根特高課長談
【松江発】出口教主検挙に鮮かな腕を揮つた工藤を島根県特高課長は語る
僕は本県赴任の際すでにこの大使命を受けてゐたこととて無事使命を果して重荷を下した、最も苦心したのは八日開かれる大祭を目ざして集まる二千の信徒の動揺とかねて訓練してゐる昭和青年会の動静で武装警察官二百名決死隊編成といふ物々しい検挙陣を敷きながらも信徒に刺激を与へるやうなことは極力避けることに力[努]めた、しかして出口もすでに覚悟してゐたものか非常に穏かな態度であつたとは喜んでゐる、すでに集まつてゐた二百余の信徒には特に今日(八日)の大祭執行を許し警戒も緩和して軽率妄動を戒めた
第三代教祖も寝巻姿で連行
綾部の本部手入れ
【綾部発】綾部皇道大本教本部の大検索は八日午前五時を期して一斉に開始されたが京都から武装警官隊をギツシリ缶詰めにした市バスが午前四時すぎ相前後して到着、綾部署員を加へて総勢約三百名の武装警官が綾部郡是グラウンドに勢揃ひし永岡保安課長総指揮にあたり四台にわかれて本部を襲ひ、逃げ惑ふ女子供を捕へて案内として参籠中の信者は勿論宿直の男女子供に至るまで総検束し綾部署に五十名、祖霊殿に百名をそれぞれ検束、検束者は五十嵐綾部署長自ら取調べに当り関係の薄いものから順次帰宅を許してゐる、午前六時までに綾部署に検挙されたのは皇道大本庶務課長瓜生謙吉、同史実課長吉野華明をはじめ幹部桜井同吉、山口利隆及びその家族等その他約廿数名で家族は一応取調べの上放還したが瓜生、吉野、山口などの幹部は綾部署に留置されてゐる、なほ第三代教祖直江さん(日出麿の妻)も八日払暁綾部大本教本部の検挙で寝巻姿のままで他の幹部と共に綾部署に連行取調べを受けてゐる