出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
東京日日新聞 昭和10年12月9日【附録】p1(2) 参照文献検索
キーワード: 二次事件
 
本文    文字数=9140

出口教主の精神状態
検挙は当然
変態心理学者中村古峡氏談
【千葉発】千葉市千葉寺に居住してゐる変態心理学専攻の学者で大正九年、十年にかけて大本教祖出口直さんの精神状態を調査した中村古峡氏は語る
私は元来東大で心理学を専攻した者で特に変態心理を研究し大正の初めごろ雑誌「変態心理」を出してゐましたが直ばあさんが神がかりの状態で認めたお筆先なるものが非常に問題視されてゐることを知り、綾部に行つて調査しましたところお筆先なるものはいはゆるキツネツキの状態で何等の連絡なく書き散らしたものでお直ばあさんは明かに精神病者であることを確かめ得ました、ところが王仁三郎氏はこの宗教的部分を利用し時事問題に結びつけて予言などをし、またお筆先の解説書である「大本神諭」天地人三巻を著しました、この書物とお直ばあさんの書ゐたお筆先とを比較して見ましたところ丸で違つていました「大本神諭」の中に○○○といふ伏字が沢山あり○○○に字をあてはめて読むとその部分は不敬な文字に当るので当時京都府警察部ではお筆先とともに同書をも押収し、地、人の二巻は直ちに発売を禁止しました、そのうち王仁三郎氏の原稿が出て来て○○○の文字がハツキリしてきたので不敬罪で起訴され、大審院で王仁三郎氏の精神鑑定をすることになり大審院は私を鑑定人に選びましたが王仁三郎氏が私を忌避したため杉田直樹博士が鑑定人になりましたが鑑定を行ふ前に特赦になりました、しかし王仁三郎氏は決して精神病者ではなく才人で人心収攬の妙を得てゐますが山師であるやうで特赦の後は鉾を納めてゐましたが最近またお筆先を持ち出したとか、そして矢張り不敬な文字を用ひてゐるといふことを薄々耳にしました、検挙されるのは私としては誠に当然と思つています
幹部七名京都へ
【京都発】綾部署に検挙された大本教幹部信者等百五十名のうち京都に護送した幹部七名のほかは全部工芸館に留置、九日から取調べを開始する、右幹部の七名は
大本教本部総務岩田久太郎(62)元昭和神聖会三丹本部長山口利隆(49)退役海軍少佐工芸課長杉本晋一(40)と庶務課長瓜生謙吉(59)昭和神聖会本部長桜井同吉(63)歯科医三丹時報記者吉野花明(33)及び栗原白嶺、高木鉄雄東尾吉雄のほか福知山署で検挙した茂田光蔵などである
信者は釈放
【京都発】京都府下綾部、亀岡の本拠を中心に東京、松江の両市におゐて一斉に行はれた十五年ぶりの大本教大検挙は松江市で検挙された「昭和のラスプーチン」総統出口王仁三郎氏は八日午後一時廿五分着列車で京都に護送され東京で検挙された副総統出口宇知麿氏も両三日中に京都へ護送され、また綾部、亀岡両町で検挙された三百名の信徒は亀岡、綾部両署でどしどし取調べの上、卅名の事件関係を除くほか一応全部を釈放、留置された卅名も大部分は八日中に京都へ護送され、九日中には全部護送されることになつた
俎上の大本教(1)
”弾圧”で大きくなる
適中した教主の予言
第一次検挙からの十五年間
再起への積極的活動
【京都発】昭和十年十二月八日午前五時──突如として起つた検察陣の大嵐は、皇道大本教本部所在地の綾部及び本部事務所のある亀岡町を中心として全国的に吹きまくり、第二次大本大検挙が決行された、第一次の大本検挙が行はれてから実に十五年目、しかも、今回の検挙は前回より遥に大がかりであつた、亀岡の事務所天恩郷、綾部の総本部の如きは、京都府警察部の武装警官隊が包囲し、東京松江と相呼応して総統出口王仁三郎氏をはじめ、一族有力信者等をすつかり検挙した、その筋では前回以上の大不敬事件と発表してゐるが、亀岡の本部事務所から連行された副総統日出麿氏は「大正十年の時は不気味な空気がただよひ、恐ろしい予感があつたが、今度はそれがなかつた、しかし前回と同じやうな活動が大本に向けられてゐることは、大本が何か政略を持つてゐるとか、危険なものでも隠匿してゐるやうに考へてゐる訳だらう」と法難を叫んでゐる、また、出口王仁三郎氏は前回大弾圧を蒙つた際「大本は警察が手を入れれば入れるほど大きくなる」と豪語して官憲を煙に巻ゐてゐたが、大赦によつて許されて帰る時は、爾今《じこん》皇室に関することは勿論、政治、外交等にも大本としては絶対に口出しせぬといふ七ケ条の誓約書を入れさせられてゐるから、大本としては手足をもがれて再起出来なかつたはずであつたので、それから僅十五年、またしても官憲がかうした大手入れを行はねばならなくなつた原因は、果して那辺に潜在してゐたのであらうか、最近の大本教はどうであるか王仁三郎氏は誓約を無視して行動の本義に基く祭政一致の確立、皇道経済、皇道外交等を論じ、その教線の上では各地に別院を立てかつては蒙古紅卍教と手を握つて北支にその手を伸ばし、また日本のエスペランチストを動員したり、ローマ字を通じて世界的進出を期して「世界を救ふものは大本である」とさへ、平気でいひふらしてゐた、更に別働隊としては人類愛善会、日本武道宣揚会、昭和青年会、昭和坤生会、昭和神聖会等を次から次へぎと作りあげ、外部的な活躍の停止を誓つた筈の王仁三郎氏が、これ等を統帥して積極的に活動し、昭和青年会は卅万、坤生会は婦人の青年会で、これまた廿万の会員を擁すると公表してをり、神聖会は会員百万を目指して昨年の春頃から全国的に羽をのばし、各府県に続々と支部を設立してゐる、更に大本農園を経営し二代教祖の澄子さん(王仁三郎氏夫人)は、鶴山織の手工芸を通じて農村問題に相当に深く食ひ入つてゐるし、青年会には兵式訓練を施してゐること等は見る人からみれば、王仁三郎氏が豪語した如く、大本は年々にそのスケールを大きくして、現在では第一次大検挙前の大本教よりも大きな団体となり、王仁三郎氏の予言が当つてゐるわけである
特高課長の一言に神妙な出口教主
島根別院検挙の光景
【松江発】大本教主出口王仁三郎氏は島根別院で寝込みを襲はれたが、この日午前四時物々しい警官隊の厳重な警戒裡に工藤特高課長を真先に決死の警官五名が別院玄関から躍り込み、やにはに昭和青年会員の監視哨二名を検束し奥の寝所に近づくや十名ばかりの監視哨を「動くな」と大喝して震へあがらせそのまま寝所に突き入つた、驚ゐて起上がらんとする出口教主を見つけるや工藤特高課長は「出口さん、京都へ帰つてもらひますぞ」との一言と共に一同は襲ひかかつてその左腕をつかんだ、すると出口氏も全く観念したものの如く「逃げやしません、逃げやしませんい」と手を差出し和服と着替へおとなしく同行されて行つた、また同四時半北松江警察署から自動車で京都に向け出発の際かたはらの澄子夫人を顧みて「出口は急に用事が出来て京都に帰つたと信徒に伝へてくれ、信徒に心配させるな」と名残の言葉をかけたが俤は悄然たるものがあつた
この日の島根の警察陣は何しろ軍事的訓練を行つてゐる昭和神聖会青年会員が多数詰め切つてゐる本部なので万一のことがあつてはといふので植野衛生課長まで動員し繃帯やら薬剤を用意して島根別院と一町と離れぬ警察部長官舎に陣取るといふ物々しさ
本部に泊り込んでゐた信者の多数はこの騒ぎに何事が起つたのかとビツクリし教主を拉致されて呆然とこれを見送つた、八日は早朝から続々と信者が五周年大祭を目指して集まつて来たが制服警官が随所に張り込んでゐるし、その上出口教主の不在といふのでまるで狐につままれたやうな形であつた