出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
読売新聞 昭和10年12月8日【号外】p1(1) 参照文献検索
キーワード: 二次事件
 
本文    文字数=5843

大本教再び邪教の本体暴露
不敬事件の確証あがり
断乎!内務省が弾圧の命
本部・支部を襲ひ二百余名検挙
最近社会不安の濃化に伴い邪教の跋扈いよいよ激しく良民を欺罔《きばう》すること甚だしいのでこれが取締の任にある内務司法両当局では過般来これが内偵を進めてゐたが、最近京都府綾部町に広大な本部を構へ信徒卅万を誇る皇道大本教に尊厳冒涜および重大な不敬事実の確証を握りここに断乎鉄槌を下すべく決意し、全国に向つて指令を発した、よつて京都警察部をはじめ同教の重なる支部所在地の警視庁、島根警察部当局は緊密な聯絡をとり、八日払暁を期して全国一斉に総検挙を断行、中心地京都におゐては、京都地方検事局指揮の下に薄田警察部長以下廿六署員四百余名を総動員して、府下綾部町の同教本部および亀岡町の天恩郷を襲ひ、居合せた副統監出口日出麿以下幹部廿余名を検挙するとともに、同教発行の書籍、書類等多数の証拠物を押収した、また帝都では東京地方検事局と警視庁が協力特高課千速第二係長が総指揮となつて警官七十名を動員、東京本部と昭和神聖会総本部および杉並区方南町三一二紫雲郷を襲撃して神聖会教主出口宇知麿以下幹部七名と凶器、証拠書類等を押収、更に島根県警察部では、松江市北堀町赤山大本教松江別院を襲ひ折柄松江別院で八、九両日に亙つて行はれる大祭に出席のため来合せてゐた教主出口王仁三郎、夫人澄子らを検挙するにゐたつた、かくて検挙のあらしは同教全本、支部に及び同教の幹部ら三百余名に及び大正十年不敬事件以来二回目の大検挙である
王仁三郎氏夫妻
松江で熟睡中検挙さる
警保局の永野氏出張
【松江電話】教主出口王仁三郎氏は七日午後一時昭和神聖会島根本部二周年記念式に参列のため妻女澄子と共に松江に来り同市赤山の同本部に落着ゐてゐた、これより先同教弾圧の肚を決めた内務省では警保局の永野事務官、児玉属を六日午後一時発列車で松江市に急行させ清水同県警察部長らと検挙の手筈をととのへさせた、かくて八日午前三時半松江、安来《やすぎ》両署員は工藤特高課長に指揮されて同本部を襲撃、熟睡中の王仁三郎と第二世教祖の妻女澄子を連行、同時に本部から多数の書類を押収した、このため同本部は大混乱に陥つたが王仁三郎は悠々として一旦松江署に伴はれたのち午前五時十七分同駅発列車で京都に護送された、澄子教祖は同課に留置されてゐる
大本教の本山へ
大混乱の綾部と亀岡
警官隊四百名で襲ふ
【京都電話】京都府警察部では七日夜薄田警察部長から府下廿六警察署の全署員の制服召集を極秘裡に命令し全市に警戒網を張る一方各署選抜の腕利き警官四百名で特別検索隊を組織し八日午前一時数十台の京都市バスに分乗薄田警察部長杭迫特高課長指揮の下に三隊に分れて丹波路を突進、中百五十名の一隊は丹波何鹿郡綾部町の大本教本部を襲ひ残りの一隊は皇道大本本部を他の一隊は亀岡町大本天恩郷を一斉に襲撃し居合せた教主出口王仁三郎の養子日出麿、三千麿、同妻八重子五十麿ら幹部卅余名を亀岡署に、幹部岩田久太郎及び栗原白嶺らは綾部署に検挙されたが折柄本山内には多数の信者がつめかけてをり隣の綾部、亀岡町は大混乱に陥つた、また京都府下本津、新舞鶴及び京都市丸太町知恵光院等の各支部も襲はれぞくぞく検挙されてゐる
出口王仁三郎一先づ留置
京都へ護送さる
【京都電話】問題の人大本教主出口王仁三郎氏は京都府警察部特高課高橋警部、同刑事課岡部警部、松江署松村警部ほか四名に護られ八日午前五時三分松江駅発列車で護送、同午後一時廿四分二条駅着、京都府警察部より指し廻しの京三二号に乗り五十余名の物々しい警戒で上京区中立売の警察部の送られた、氏は黒のトンビに茶色の帽子を被り長い白髪をのぞかせながら満面に懊悩の色を漂はし同一時卅分警察部保安室に一先づ留置された
日本製紙重役留置
【浦和電話】埼玉県特高課では警視庁特高課からの通報で八日午前六時半小林警部、伊藤警部補、浦和署山口巡査部長が浦和市常盤町四、四四七大本教王子支部長で王子所在の日本製紙株式会社重役米倉範二(60)氏を検挙浦和署に留置中で警視庁の指揮を待つてゐる
新潟でも二名
寝込みを検挙
【新潟電話】新潟県警察部特高課では八日午前五時半警保局からの逮捕命令により去る六日から山形県から来県新潟市上川前五番町小甚旅館に投宿中の京都府南桑田郡亀岡町昭和神聖会総務教務部長井上留五郎(69)大本教総務補国防部長神本太昭(42)の寝込みを襲つて検挙新潟署に留置取調中である
同郡下における大本教の組織は昨年出口王仁三郎氏が来県の際各地の信者を集めて「昭和神聖会」支部を設け新潟市を中心にその拡大を図つてゐたので前記小甚旅館は同支部の事務所となつてゐた