出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
朝日新聞 昭和10年12月8日【号外】p2(1) 参照文献検索
キーワード: 二次事件
 
本文    文字数=10077

悪質の不敬事件
教主を「ある存在」とし信者に妄信を強ひる
今回の検挙を敢行するまでには京都府警察部を中心として警視庁、島根県警察部では内務省指示の下に慎重に調査を遂げたものでこれは昨年十一月頃信者に送つた文書から活動を始め最近漸く悪質の不敬の事実を突きとめたためである、その内容は教主王仁三郎が自らをある存在だとし、信者に妄信を強ひてゐたものである、但し暴力的な行動を計画した形跡は今の所明瞭でない、なほ検挙は三十名(内東京八名)で一般信者には及ばない方針である
公安憂慮の検挙
高田文部省宗教局長談
従来の制度では宗教として神道、仏教、キリスト教以外は行政上扱つてゐない、大本教は警察だけで取締をしてゐるものだ、従つて野放しとなつてゐる観があるのだ、今度案を練つてゐる宗教団体法案によると、宗教類似の団体に対しては届出を命じて若し不穏のものであれば停止せしめることが規定されてゐる、──宗教局としては大本教の内容に関してこれまでは宗教としての調査はしてゐなかつた訳で、今度の法案が決定したならやらうと思つてゐたものであつた
鈴木京都府知事談
【京都電話】京都府綾部町に本拠を有する大本教において不敬の言動あるやの疑ひあり予て注意中のところこれを放置するにおいては公安に憂慮すべきものあるを認め十二月八日京都府警察部においては京都地方検事局と打合せの上警視庁並に島根県警察部と協力し関係箇所の家宅捜索をなすと同時に出口王仁三郎以下約三十名の関係者を検挙せり
薄田京都警察部長談
【京都電話】内容については本省からの指令によつて鈴木知事の語られた以上の事は話せない、杭迫府特高課長が昨年十一月着任以来大本教に関し専心研究の結果遂に今回の大検挙となつたのであるが内容は去る大正十年大検挙の際と同じやうなことを繰返したものである
”何が何だか”
けふ昭和神聖会本部で出口氏次女語る
検挙を喰つた四谷区愛住町昭和神聖会総本部には、事務員達と落つきはらつた出口王仁三郎氏次女出口寿賀麿妻うめのさん(32)が留守をしてゐるが
何も私は知りません、三日前に遊びに上京して来ました、何が何やら判らず驚いてゐるばかりです
といつてゐる、また本部の連中は出口副統監、広瀬総本部次長を曳かれてぼんやりしてゐる
これで二度の災難です、今朝はびつくりしました、広瀬次長はずつと当方にゐられますし、宇知麿副統管[監]はしばらく亀岡に行つてゐられ昨朝帰られましたばかりです
と神の試練だといはぬばかりに落ついたものだ、信者達からの問合せやら見舞の電話に忙殺されてゐる
別院の驚き
杉並区和田本町三一二皇道大本紫雲郷別院は押収された重要書類の風呂敷包十個と共に関東主会長土居靖都氏(53)が検挙され居合せた信者、男五名、女七、八名は何事が起つたのやらわけが判らず
一体どんな事があつたのですか
私たちには皆目判りません
とて茫然としてゐる
新潟の手入れ
役員二名を検挙
【新潟電話】新潟県特高課では八日午前五時中央の指令により新潟市上大川前通小甚旅館に宿泊中の京都府天恩郷本部役員井上留五郎(62)同昭和青年会役員神本泰昭(42)の両名を検挙、新潟署に留置取調中である
右両名は去る六日山形県方面から本県に入り大本教教義宣伝のため引続き新潟市の信徒間に呼びかけ市内数ケ所で座談会を開き七日夜は新潟市二葉町同教支部事務所で数十人を集め深更まで座談会を開いてゐたものである、両名は県下各地の状況その他につき本部との連絡を取つてゐたもので新潟市内の信徒は目下三百名位を有しその他県下には加茂町をはじめ各地に多数分布されてゐる
尚右両名今回の行動は今までのところ新潟市だけに限られてゐる模様である
すでに覚悟の教主
落着いて引立てらる
【松江電話】島根県警察部では別項の如く八日午前四時を期し松江市北堀町大本教島根支部境内にある通称赤山御殿に澄子夫人と臥床中の出口王仁三郎氏を検挙したが同氏検挙に当つては既に警視庁から工藤県特高課長に秘命が発せられて居り当日警官隊が支部を包囲した際例によつて支部付近には昭和神聖会員等が徹宵警戒に当つて居たが入口に居合せた会員二名を検束し間髪を容れず工藤県特高課長が屋内に入り王仁三郎氏に向ひ「京都からお迎へに来ました」といへば既に同氏は覚悟を定めて居たものの如く
一寸京都に用事があるから行つて来る、教徒に心配させぬやうに
と澄子夫人にいひ含め警官に引立てられて行つた
信徒二千名が知らぬ間の拘引
松江の大祭は平穏
【松江電話】出口王仁三郎氏は八日松江市北堀町大本教島根別院に開かれる大祭当日の未明検挙された、その朝の別院は国旗を掲揚し県下各地から続々信者が集まり午前十時には約二千名の信徒によつて盛大な祭典が挙行されたが王仁三郎氏の検挙が疾風迅雷的であつたため信者はこれを知る者少く極めて平穏であるが
島根県警察部では多数の警官を松江に集結北堀の別院を中心に三間おき位に二人づつの警官を配置する一方別院正門には松江署敦賀司法主任の指揮する多数の特別隊が厳重な警戒陣を張り付近一帯は物々しい情景を呈した
教主夫人語る
【松江電話】大本教主出口王仁三郎氏検挙の旋風一過の後松江市の同教島根別院では予定通り八日午前十時から教主夫人澄子氏主宰の下に秋季大祭が執行されたが澄子夫人は落付いた態度で語る
松江は今朝がた警察の方が見えられ教主に同行を求められ出かけましたが私には何のことかさつぱりわかりません、出がけにも何も大した言伝がなかつたものですから祭典は予定通りやつてゐます、私は多分明朝位に綾部へ帰るつもりでゐます
実に計画的だ
断乎処罰せよ
第一回の検挙に腕を揮つた藤沼氏快哉を叫ぶ
大本教大検挙の報に膝をたたいて快哉を叫んでゐる男、かつて大本教に大手入れを断行して天下の耳目を驚倒させた藤沼庄平氏の思ひ出話をきいて見る、その検挙は大正十年二月十二日、当時藤沼氏は若冠三十六歳の警察部長として京都府に在職、元気一ぱいの腕をふるつた頃の思ひ出である──
大正七年の五月京都へ赴任し、米騒動が終つてから、同年暮愈々大本教検挙を決意しました、皇道大本を説きながら教主出口王仁三郎の書く文章の至る所に不敬な言辞が散見するのです、当時の馬渕府知事の同意を得、現在仙台の日本生命支店長をしてゐる高芝君を専任警部に任命して内偵を進めたのです、材料を集めるのに一年半、その間高芝君は出口から「秘書に命ず」という辞令をもらつたりしてね、あつはつは──愈々その頃の平沼検事総長、小山次席検事(前法相)の指揮によつて断行したね、綾部、亀岡、八木、京都の四ケ所を襲つて、出口は大阪の大正日日新聞社長室から検挙した、この時彼は僕に耳打ちしてね「藤沼さん、不敬罪ぢやありますまいな」といひましたよ、この一言で彼等の行動が如何に計画的であり、又精神病者でもなく、彼等の一番痛い所であるかが判るでせう、断々乎として処罰すべきですよ、それが大正天皇崩御のためその事件は特赦になつたんです、今京都でやつてる中村総務部長が当時の保安課長でね、断然やるでせうよ、何しろその頃から「『お筆先』なんてものは私の作りものです」と出口は平然と云つてるんですからね、皇道を説く者としてあんな団体がある事は実際困ります
と前警視総監の腕をさすつてゐるのだ
解散を命ずるか
内務省慎重に研究
不敬事実を暴露した大本教に対し内務省警保局では解散を命ずべきかどうかについて目下研究を進めてゐるが大本教が秘密結社等に抵触せぬとしても取調の進行によつて不敬問題で断乎解散することになりはせぬかと見られ成行は頗る注目されてる
埼玉県下の信徒
【浦和電話】埼玉県下の大本教組織は大正十年の大検挙前に根を下したものであるがその後一時沈滞し昨年大本教を中心とする政治結社昭和神聖会の組織されて以来急速に発展し現在では教徒概数五百、二分所、十八支部がある、分所、支部所在地は次の通り
△分所 浦和、本庄
△支部 大和田、志木、内間木、浜崎、川口、太田窪、木崎、大宮、三橋、所沢、川島、松山、野本、行田、江面、大里、藤田、仁手
物凄い勢力で海外にも蔓る